再三申し上げているとおり、昨秋からなんとか書き繋いでいる「出羽国で寺社
めぐり」ですが、ようやくお盆の出羽国旅行の最終日、8/18の参詣記に突入…この
日は羽州から武州へ帰る日だったわけですが、まずは寒河江市の慈恩寺さん(山形県
公式観光サイトのページはこちら 寒河江市公式サイトのページはこちら ウィキ
ペディアはこちら)を参詣。
☝8/18にお詣りした際にいただいたパンフレット。「慈恩寺の御六堂展」(こちらも
どうぞ)は7/17までだったので、“本堂・三重塔・四つの御堂 「国指定重要文化財
16躯を含む33躯」一挙公開”は残念ながら拝観できなかったわけですが、それでも
荘厳な山門や三重塔、本堂では内陣に安置された御仏の像を拝観できて感激いたし
ました。
駐車場に車を停めて、華蔵院さんをまず参詣。
(「慈恩寺旧境内」についてはこちらをどうぞ。)
☝の解説の冒頭に、“今を去るおよそ千二百年前、慈恩寺をお開きになられました
バラモン僧正というお方が”とありますが、この僧正さま(慈恩寺さんの公式ホーム
ページでは“インドの婆羅門僧正(ばらもんそうじょう)”)は御名前を「菩提僊那」と
いわれるそうで(コトバンク「婆羅門僧正」参照)、“天平八年(七三六)入唐した
遣唐使に乞われて、共に来朝。大安寺に住み、天平勝宝三年(七五一)僧正、翌年、
奈良東大寺の大仏供養の導師をつとめた。”(引用同)そうです(ウィキペディア
「菩提僊那」も参照されたし)。奈良の大安寺さんは昨年9月にお詣りしていますが
(上野の東京国立博物館で開催された特別企画「大安寺の仏像」も3月に行ってまいり
ました)、大安寺さんにゆかりの僧正さまの御名前を羽州のお寺で目にしてちょっと
びっくりしちゃいました。
華蔵院さんから本堂へ。荘厳な山門に圧倒されます(こちら参照)。
山門で目にした解説…『鎌倉殿の13人』でクールに大活躍された大江広元公のお名前
が。(「寒河江大江氏」についてはこちらの記事やウィキペディア「寒河江氏」を
お読みになってください<(_ _)>。) 『光る君へ』も楽しく視ていますが、『鎌倉
殿』も懐かしいな…(『どうする家康』は何処行った)。
山門をくぐって本堂をお詣りするのですが(「境内散策」参照)…
(「慈恩寺の御六堂展」のパンフより。特別展の期間中は特別拝観ができたそう。)
茅の全面葺き替え工事のため、足場が組まれていて、外観は拝観できず。羽黒山
五重塔、出羽三山神社さんに続き三度目の不運。ですが御堂に上がり、内陣を拝観
することはできましたので嘆きも半減。
(慈恩寺さんの本堂についてはこちらのページや「日本遺産「山寺と紅花」」の「本山慈恩寺本堂」の
ページもお読みになってください<(_ _)>。)
内陣に安置されている御仏の像はパンフレットから引用、UPさせていただきました。
(「慈恩寺の仏像」参照)
9/16からは「平安の釈迦三尊」という特別展が開催されたそうですが、前述の「慈恩
寺の御六堂展」が7/17まででこちらは9/16から…〝火打石〟夫婦がお詣りした8/18
はちょうど“何もやってない時期”だったわけですが、まぁお盆の時期なのだからそれ
は仕方ない。とはいえ〝火打石〟夫婦が泊りがけで遠出ができるのは基本“盆と
正月、GW”なわけで、これはもう因果なことと割り切るしかないですね。
「木造騎象普賢菩薩像」、「木造釈迦如来坐像」、「木造騎獅文殊菩薩像」、優美な
お姿ですね(こちら参照)。拝観したかったなぁ
…
いただいたパンフレットよりUPさせていただきました。慈恩寺さんの歴史等に
ついては公式ホームページの「慈恩寺について」をお読みになってください
<(_ _)>。☝の文中に華蔵院、宝蔵院、最上院と3つのお寺の名前が挙げられています
が、今回〝火打石〟夫婦は“別当を務める最上院”はお詣りしなかったんですよね。
う~ん、失敗だったなぁ。(最上院さんについてはこちらをどうぞ。)
本堂をお詣りして、薬師堂と阿弥陀堂、不動堂を参詣して宝蔵院さんをお詣りしたの
ですが、記事が長くなりましたので次回にUP…できるだけ間を置かずUPしたいです
が、思いどおりにいくかどうか。寒さに負けず頑張りたいと思います
。