葉月も最終週となるのにGWの参詣記から抜け出せていない〝火打石〟。夫のお盆
休暇中に楽しんだ「出羽国で寺社めぐり」では、鶴岡市に宿を取って連泊したのに
荘内神社さん(“海老すくい”の酒井忠次公をお祀りされる)をお詣りできなかった
など、ズッコケもあった参詣記を早く書きたいとは思っているのですが、陸中国の
参詣記も頑張って書き上げたい…今回は岩手県花巻市愛宕町に御鎮座の花巻神社
さんの参詣記を挙げさせていただきます(;^_^A。
参道脇で咲いていた花…現在は青草が濃く茂っているのでしょうか。
花巻神社さんは、“開町以来の里の守護神を祀る神社。花巻駅から徒歩ですぐの高台に
あり、階段上からの街の景色は必見!個性のある御朱印も人気です。”とこちらの記事
で紹介されています。
(逆光で写真が暗くなって申し訳ございませんm(__)m。)
なかなかユーモラス(失礼)なお顔の狛犬さんです
。
う~ん…花巻神社さんの「御祭神」の解説(こちら)を読むと、「愛宕神社」が創建
されたのは大河ドラマ『どうする家康』の終盤(と言っていいかな?)とほぼ同時代
のようですね。“花巻の地は伊達氏と境を接する軍事的な要地であり、松斉は慶長16
年(1611年)南部利直の命をうけて当時鍋倉にあった萬福寺を花巻に移し、八幡寺と
改め稗貫・和賀両郡十カ寺の本寺とした。 その鎭守として軍神・火防の神である
愛宕大神を勧請した。”とのことですが、☝の文中に御名の挙がる南部信直・利直両公
は、前日(5/4)にお詣りした盛岡市の櫻山神社さんの御祭神ですね(こちら参照)。
(北信愛・秀愛両公についてはウィキペディア「北信愛」「北秀愛」を参照されたし。) “花巻の地
は伊達氏と境を接する軍事的な要地”ともありますが、こんな文章を読むと寺社の創建
にもきな臭さが感じられる。(大坂の陣は1614/15年で、南部氏も伊達氏も東軍に
加わった(ウィキペディア「大坂の陣」やこちらの記事を参照)のですが。)
境内に鎮座されるお社…古峯神社さんの石碑のお隣の石碑は中央が「月三山」と読む
のでしょうか?。悲しいことに〝火打石〟は崩し字がよく読めなくて…向かって右
は「鳥海山」??、で、左は…ワカラナイ。この石碑は「出羽三山」と記している
のかな?(まったくの見当違いだったら申し訳ございませんm(__)m)。「巖鷲山
大權現」さまは“岩手山の神「岩鷲大権現(がんじゅだいごんげん)」”(こちら等
参照)のことかな?。
花巻神社神社さんで拝受した御朱印はこちら☟(*^-^*)。神社さんのホームページの
「御朱印」もお読みになってください<(_ _)>。
(「大歳神」さまについてはウィキペディア「年神」等を参照されたし。)
☝夫が拝受した御札です。
すでに何度か書かせていただいていますが、2年前に静岡からさいたまに戻って、東北
地方の神社仏閣をお詣りするようになって、“西”の寺社とは違う感触を意識するよう
になった〝火打石〟夫婦。さいたまに戻って、東北道で北日本に出ることが容易に
なり、新しい世界が開けるような…一方、『どうする家康』を視ながら遠江や三河の
思い出に浸る。京阪に出るのもたいへんになって淋しく感じますが、嘆いていても
仕方がない。酷暑はあと一ヶ月ほど続くそうですが、気力体力次第ではあります
が、頑張って寺社めぐりを楽しみたい(美術展鑑賞もね)。来年は津軽と蝦夷の
一の宮をお詣りしたいし。とにもかくにもこの酷暑を乗り越えなければ
…この
拙いブログに目を通してくださっている方々も、どうか御自愛なさって実りの季節を
お迎えください<(_ _)>。切に秋の訪れを願う〝火打石〟なのでした。