そろそろお盆も近づいて、出羽国への旅行の準備もぼちぼち始めねばとぼんやり

 

考える〝火打石〟。改まって用意するものなど特に無い(と思う…)のですが、直前

 

にバタバタするのは苦手なので汗。この旅で出羽國一の宮  鳥海山大物忌神社さんを

 

無事に参拝できたら、今年は東北地方の一の宮(こちら参照)を二社お詣りできた

 

ことになるニコニコ。一の宮巡拝も順調に行けば来年には北日本の一の宮をすべてお詣り

 

できる(“津軽国一の宮”岩木山神社さんと“蝦夷地一の宮”北海道神宮さんをお詣り

 

する予定)…出羽国旅行が近づいているのにブログは陸中国に留まったままドクロ。これ

 

ではならぬと酷暑バテの心身を奮い立たせて参詣記をあせる。今回は5/4、岩手県盛岡市

 

内丸に御鎮座の櫻山神社さん(岩手県観光協会のページはこちら ウィキペディアは

 

こちら)の参詣記です(;^_^A。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

盛岡城跡公園についてはこちらをどうぞ(ガイドマップはこちら)。神社さんの

 

アクセス・境内のご案内」もご覧になってくださいm(__)m。。

 

 

 

 

鳥居を潜ってお社の方へ歩いていくと…

 

 

   

 

 

盛岡名物 じゃじゃ麺のお店に並ぶ人々を目撃目。【白龍】さんは〝火打石〟夫婦も

 

事前にチェックしていたのですが、この列に並ぶ気力は無かったショボーン

 

 

  お社が見えてきました目

 

 

 

 

 

 

 

御由緒についてはこちらをどうぞ。ウィキペディア「櫻山神社」には、“江戸時代中期

 

寛延2年(1749年)、盛岡藩第八代・南部利視により盛岡藩初代・信直の遺徳を

 

偲び、盛岡城内淡路丸に神殿を建立、同年9月26日、その神霊を勧請して「淡路丸

 

大明神」と奉ったのに始まる。”(「歴史」の「創建から江戸時代後期」より)と

 

ありますが、こちらも南部家ゆかりの神社さん…盛岡八幡宮さん(こちら参照)も

 

千手院さん(こちら参照)も南部家ゆかりの社寺でしたが、櫻山神社さんもやっぱり

 

そうなんですねあせる

 

 

 

☝いただいた参拝の栞から抜粋しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

☝こ、これは目…ああ、そういえば大谷翔平選手は岩手県の出身でしたね(ウィキ

 

ペディア「大谷翔平」参照)。〝火打石〟夫婦は野球に関心はないのですが、さすが

 

に今、兜を被ったこの人形を見れば誰だか判る…でもなんだか、失礼ながらちょっと

 

チープじゃないはてなマーク、この上半身の“オータニサン”あせる

 

 

 

 

“櫻山神社は、南部家四柱の神様をお祀りしています。”と公式サイトに記されて

 

います(「櫻山神社について」の「御祭神~四柱の神々~」参照)。“四柱の神々”は

 

南部家初代の光行公、盛岡藩初代・南部家二十六代の信直公、盛岡藩二代・南部家

 

二十七代の利直公、盛岡藩十一代・南部家三十六代の利敬公の四公ですが、初代から

 

三十六代、鎌倉時代前期から江戸時代後期まで、600年以上の年月が流れている…

 

ウィキペディア「南部氏」には、“鎌倉時代から明治維新まで同じ所領に居続けること

 

ができたのは南部氏のほかには薩摩島津氏などごく少数”と記されていますが

 

(「略史」の「明治時代」)、本当に南部家って奥州の名家なんですねびっくり

 

 

※四公についてはウィキペディア「南部光行」「南部信直」「南部利直」「南部利敬」を参照なさって

ください<(_ _)>。

 

 

 

 

(☝「参拝の栞」から)

 

 

 

 

 

 

拝殿に二礼二拍手した後、“盛岡のパワースポット”、烏帽子岩(こちら)拝観ニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

櫻山神社さんで拝受した御朱印はこちら☟(*^-^*)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☝「向鶴」の御朱印帳も購入いたしましたニコニコ

 

 

 

(☝「参拝の栞」から こちらもどうぞ)

 

 

 

 

☝夫が拝受した御札です。

 

 

 

 

 

櫻山神社さんでは岩手県の県名の由来となった“鬼の手形伝説”(こちら参照)を持つ

 

三ツ石神社さんの御朱印も拝受できます。〝火打石〟夫婦は櫻山神社さんに続いて

 

三ツ石神社さんも参拝…次回参詣記をUPいたしますねあせる