少し前からGWの陸中国での参詣記を挙げている〝火打石〟ですが、今回から5/3、
世界遺産 平泉での寺社めぐりの次第をUPするつもりで、3日朝一番にお詣りした
達谷窟毘沙門堂(ウィキペディアはこちら)の記事を書こうと写真などを整理して
いたら、いただいた参拝の栞に
“許可なく境内諸堂諸佛及び縁起等の掲載を禁ずる”という警告が記されているのに
気づきました。う~ん…残念ながらこれではいつものような記事は書けない。
夫はこちらで“最強の御札”、牛玉寳印(こちら参照)を拝受したくて参詣することに
したのだそうですが、拝受した御札も当然UPできない…という次第でお詣りして
きましたという証?に駐車場で撮影した写真をUP。
達谷窟毘沙門堂については平泉観光協会(こちら)や岩手県観光協会(こちら)の
記事、近畿日本ツーリスト(こちら)やトラベルjp(こちら)の記事等をお読みに
なってください<(_ _)>。“世界遺産に登録される岩手県の平泉には、奥州藤原氏が
栄華をきわめる以前から、すでに寺院が建立されていました。なかでも有名な伝説が
残っているのが「達谷窟毘沙門堂」です。”と近畿日本ツーリストの記事にあります
が、前日にお詣りした奥州市水沢の黒石寺さんも行基上人開山、坂上田村麻呂公
再興、慈覚大師中興という歴史を持っていらっしゃって(奥州藤原氏が栄えるのは
11世紀末から12世紀末の約100年間→「奥州藤原氏 三代」で検索してみてください
<(_ _)>)、みちのくの寺社の歴史は思っていたよりずっと古いんだなと今回の旅で
実感。いつものように達谷西光寺さんの参詣記が書けないのはとても残念ですが、
ともあれ一つ知識が増したのは嬉しい。次回は毛越寺さんの参詣記をUPする予定
ですが、今回はひとまずこれにて達谷西光寺さんの参詣記とさせていただきますね。