弥生もう末になり、令和4年度も終わってしまうわけですが、新年度を迎えるからと

 

言って特に何かが変わることも無い〝火打石〟夫婦の淡々とした生活…そろそろGWの

 

計画も立てねばなるまいとは思っているのですが汗。年始の参詣記もまだ書き終えて

 

ないのにGWの計画とは好い気なものですが、でももう決まってるんですよね、〝火打

 

石〟の行きたい所はニコニコ陸中一宮 駒形神社さんと世界遺産 平泉ビックリマーク。一の宮巡拝を

 

再開して、長年の夢だった平泉での寺社めぐりを果たす照れという夢を抱いているの

 

ですが、実現できれば嬉しいなぁあせる。まぁそれはさておき兎にも角にも熊野三山の

 

参詣記を書きあげなくてはメラメラ。今回は熊野那智大社さんに隣接する青岸渡寺さん

 

(ウィキペディアはこちら 那智勝浦観光サイトのページはこちら こちらのページ

 

もどうぞ)の参詣記となりますニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

飛瀧神社さんを参拝して那智の瀧に感激し、西国三十三ヶ所の札所第一番のお寺さん


をお詣りする…参詣記から話が逸れますが、令和2年(2020年)に京都国立博物館

 

西国三十三所 草創1300年 記念特別展 聖地をたずねて ─西国三十三所の信仰と至宝─

 

という展覧会が開催されました。〝火打石〟はその特別展を観に行きたかったのです

 

が、コロナ禍で県外への外出の自粛が要請されていた時期だったので諦めざるを

 

得なかったえーんえーんえーん。嗚呼、そんな時もあったんだよなぁ汗…こうして埼玉県から

 

和歌山県へ移動できる日が来るなんて、あの頃は想像できなかったショボーンショボーンショボーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

那智御瀧遥拝所の標がありました。

 

 

 

 

逆光で判り辛い(スミマセン汗)ですが、「←那智大滝」「熊野那智大社 那智山

 

青岸渡寺 三重ノ塔→」と記されています。

 

 

 

  三重塔が見えてきました目

 

 

振り返れば大滝が見える…  

 

 

 

 

 

 

 

平安時代の装束でお詣りしている方がいらっしゃいました目こちら参照)。

 

 

 

 

青岸渡寺さんの三重塔についてはこちらをどうぞ。“塔の上からは、那智の滝や太平洋

 

を望む事ができます。”と那智勝浦観光サイトに記されていますが、私たちも絶景を

 

楽しませていただきましたニコニコ

 

 

 

    

 

 

 

 

  ☝参拝の栞の写真と同じように撮れました音譜

 

 

 

 

 

遥かに望む熊野灘☞   

 

 

 

 

 

  

(☝参拝の栞から引用) 三重塔から青岸渡寺さんへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御本堂で掌を合わせます。ウィキペディア「青岸渡寺」には

 

青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山にある天台宗

寺院山号那智山本尊如意輪観音菩薩西国三十三所第1番札所。本堂および

宝篋印塔は重要文化財ユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年

平成16年〉7月登録)の一部。

 

と記されていますが、御本尊の如意輪観音菩薩さまについては参拝の栞に

 

 ☜と解説があります。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

青岸渡寺さんの御由緒についてはこちらもお読みになってください<(_ _)>。

 

 

 

 

 

“鐘楼 - 梵鐘は元亨4年(1324年)の鋳造。”(ウィキペディア「青岸渡寺」の

 

「境内」より引用)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

“宝篋印塔(重要文化財) - 元亨2年(1322年)の銘がある。高さ4.3m。”(引用同)

 

 

 

 

 

 

  こちらからも那智御滝が眺められる目

 

 

 

 

 

 

ウィキペディア「西国三十三所」の「成立と歴史」の項には

 

 

三十三所巡礼の起源については、中山寺の縁起である『中山寺来由記』、華厳寺

(三十三番札所)の縁起である『谷汲山根元由来記』などに大略次のように記されて

いる。

養老2年(718年)、大和国の長谷寺の開基である徳道上人が62歳のとき、病のために

亡くなるが冥土の入口で閻魔大王に会い、生前の罪業によって地獄へ送られる者が

あまりにも多いことから、日本にある三十三箇所の観音霊場を巡れば滅罪の功徳が

あるので、巡礼によって人々を救うように託宣を受けるとともに起請文と三十三の

宝印を授かり現世に戻された。そしてこの宝印に従って霊場を定めたとされる。上人

と弟子たちはこの三十三所巡礼を人々に説くが世間の信用が得られずあまり普及

しなかったため、機が熟すのを待つこととし、閻魔大王から授かった宝印を摂津国

中山寺の石櫃に納めた。そして月日がたち、徳道は隠居所の法起院で80歳で示寂し、

三十三所巡礼は忘れ去られていった。

徳道上人が中山寺に宝印を納めてから約270年後、花山院安和元年〈968年〉 -

 寛弘5年〈1008年〉)が紀州国那智山で参籠していた折、熊野権現が姿を現し、

徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を授けた。そして中山寺で

宝印を探し出し、播磨国圓教寺性空上人の勧めにより、河内国石川寺(叡福寺)の

仏眼上人を先達として三十三所霊場を巡礼したことから、やがて人々に広まって

いったという(中山寺の弁光上人を伴ったとする縁起もある)。仏眼が笈摺・納め札

などの巡礼方式を定め、花山院が各寺院の御詠歌を作ったといい、現在の三十三所

巡礼がここに定められたというのである。

 

 

とあります。(「伝承」) “摂津国の中山寺”さん(こちら)は静岡在住時にお詣り

 

したなぁ…残念ながら奥之院はお詣りできなかったけどショボーン(文中に御名前の挙がる

 

華厳寺さん、法起院さん、“播磨国の圓教寺”さん(こちら)、“河内国の石川寺(叡福寺)さん”も

 

いつかお詣りできたら良いなぁ照れ。)

 

 

 

 

昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも活躍された後白河法皇も参詣されました。

 

 

 

 

那智山キャラクターの「やた殿」と「やた姫ニコニコ

 

 

 

 

青岸渡寺さんで拝受した御朱印と御札はこちら☟(*^-^*)。

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

     

 

 

 

 

“那智山は熊野三山の一つ。熊野信仰の霊場として長い歴史がある。もともと那智の滝

 

を中心にした神仏習合の一大修験道場だったが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に

 

分離した。”(こちらより引用)とあるように、かつては青岸渡寺さんと熊野那智大社

 

さんは一体だった…次回は熊野那智大社さんの参詣記をUPいたしますが、今回の記事

 

と重複する箇所もあろうかと思います。歴史から考えればそれは当然のことで…

 

神仏分離がいかに不自然なことだったか、こうして寺社めぐりをしているとひしひし

 

と感じる〝火打石〟。次回はそんな思いを込めて書かせていただこうかと思って

 

おります。