先週夫の会社の主婦健診を受信したのですが、健康診断の際問題となるのが体重測定
…無駄な抵抗とはいえこの日に備えて食事の量を抑えたり、あれこれ気を
遣って疲労困憊。まぁ万年ダイエッターで、今更改めて何かやったところで焼け石
に水なことは百も承知なのですが。何はともあれ無事()健診を終え、気力も
ようやく戻ってきたので一安心…二月遅れとなりますが睦月六日の熊野三山詣の
参詣記をUPさせていただきます。
和歌山市内に宿を取っていた〝火打石〟夫婦ですが、6日は夜明け前に起床して
熊野三山(ウィキペディアはこちら)が鎮座される南紀を目指す…和歌山市から南下
して暗い山道を東進し、いざ、田辺市本宮町に御鎮座の熊野本宮大社さん(熊野本宮
※和歌山県の市町村の地図はこちら等を参照なさってください<(_ _)>。地域区分についてはこちらを
どうぞ。文中では「南紀」と表記していますが、「南紀」は地域区分の「紀南」地域を指すと〝火打
石〟は考えました。←ウィキペディア「南紀」参照
無事到着してまずは大斎原と産田社を参拝…してしまったのですが、参拝の順序は
本宮大社さんを参拝してから産田社、大斎原とお詣りするのが正式のよう(公式
ホームページ「参拝について」参照)。とはいえ私たちが本宮大社さんに着いた時
は、時間が早かったせいか参道に立ち入れない状態でした(熊野本宮大社さんの
参拝時間は午前8時から午後5時まで)。なので順は違えますが大斎原と産田社を
先に参拝させていただきました。
“当社のいたるところに見られる3本足のカラス。日本サッカー協会のシンボル
としても有名な、八咫烏です。八咫烏は、日本書紀・古事記の「神武東征」という
物語に登場します。
これは神武天皇が、宮崎県(日向)から奈良県(橿原)に都を移し、大和朝廷を
開いて初代天皇に即位するまでを描いた物語です。神武天皇が熊野に到着された
時、神の使者である八咫烏が奈良まで道案内をしたというエピソードから、熊野
三山に共通する「導きの神鳥」として信仰されるようになりました。”
(公式ホームページ「5分でわかる熊野本宮大社」の「3本足のカラスのマークは何?」引用)
鳥居の神額には「熊野大権現」と記されています。ウィキペディア「熊野権現」には
熊野権現(くまのごんげん、または熊野神〈くまののかみ〉、熊野大神〈くまの
のおおかみ〉とも)は、熊野三山に祀られる神であり、本地垂迹思想のもとで
権現と呼ばれるようになった。熊野神は各地の神社に勧請されており、熊野神を
と記されています。「権現」は“日本の神の神号の一つ。日本の神々を仏教の仏や菩薩
が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号”(←ウィキペディア「権現」
より)という仏教用語ですが、「熊野三山」は“仏教的要素の強い”(ウィキペディア
「熊野三山」より)神社さん…公式ホームページには、“奈良朝の頃より仏教を取り
入れ、平安朝以後は仏化により「熊野権現」と称し、神々に仏名を配するようになり
ました。熊野本宮大社は上・中・下社の三社から成るため、熊野三所権現と呼ばれて
います。また、十二殿に御祭神が鎮座ますことから、熊野十二社権現とも仰がれて
います。”(「熊野本宮大社について」の「御由緒・歴史」より)と記されています。
(熊野本宮大社さんの御祭神については「熊野本宮大社について」の「御祭神」の項
をお読みになってください<(_ _)>。)
158段なら現在の〝火打石〟ならなんとか一息に上れそう…
石段を上ると社務所や宝物殿、授与所が見えてきます(こちら参照)。
カラスは賢い鳥ですからね…世界各地の神話や伝承でも存在感を示していますね。
(こちら等を参照なさってください。ウィキペディア「カラス」の「文化」の項も参照されたし。)
「都道府県別熊野神社の分布図」…ウィキペディア「熊野神社」もお読みになって
ください<(_ _)>。
“熊野神社は、八幡神社・神明神社・稲荷神社と並んで全国的な分布を示していること
が確認されている。”(←ウィキペディア「熊野神社」「分布」より)…〝火打石〟が
育った千葉県は346社と多いなぁ。現在住む埼玉県は222社、一昨年まで住んで
いた静岡県は127社…千葉県に熊野神社が多いのは“黒潮つながり”ってことかな?。
「勝浦」という地名は和歌山県にも千葉県にもあるし。(最多は福島県の437社ですが、
黒潮の一部は三陸海岸沖まで北上するとウィキ「黒潮」に記されています。)
☝神門の奥に御社が鎮座されているのですが、写真撮影は禁止という情報もあります
ので、頂いた参拝の栞から御社殿の様子をUPさせていただきます。
(御祭神についてはこちらのページをお読みになってください<(_ _)>。参拝の順についてはこちら)
栞の裏面は御朱印マップになっています。☟は拝受した御朱印です。
夫は念願の「熊野牛王神符(牛王宝印)」を拝受。
※「熊野牛王神符(牛王宝印)」についてはこちらをどうぞ(ウィキペディアはこちら)。熊野本宮
大社さんの授与品や御朱印についてはこちらのページをお読みになってください<(_ _)>。
憧れだった熊野詣が叶えられた令和五年の初春…できれば古の人々のように熊野古道
を歩いてお詣りしたかったですが、まぁ人間欲を言ったらキリがない。慌ただしい
お詣りでもできなかったよりはマシ。この後は新宮市の熊野速玉大社さん、那智
勝浦町の熊野那智大社さんを参詣…「熊野三山」を詣でることができました。
次回は熊野速玉大社さんの参詣記をUPさせていただきますね(;^_^A。