緊急事態宣言下のGWも最終日を迎えましたが、我が家は夫が有休を調整して、今週末まで
お休み…まるまる一週間の休暇となったわけですが、当然ステイホームで帰省も寺社めぐりも
できず。まぁシニア一歩手前(?)の夫婦ですから、家でおとなしくしていることには何の
抵抗も無く、それぞれ気ままに過ごしていますが、〝火打石〟はこうしてブログを書いたりして
気を紛らわせています。(先のことを考えると気が滅入ってしまいますので…) 前回の
記事は静岡浅間神社さんの楼門を潜ったところまでUPいたしましたが、今回はその続き、
神部・浅間両神社の大拝殿の参拝から始めさせていただきます(;^_^A。
現在改修中の楼門―国指定の重要文化財で、“総漆塗で、彫物には「水呑の龍」「虎の子
渡し」などがある。また、二層部分に「當國總社・冨士新宮」の扁額が揚げられている。”という
(←ホームページ「境内案内」より)、たいへん立派な建造物です。―を潜って
手水舎で手と口を清めるわけですが、少し前から柄杓がなくなっていて…これもSARS-CoV-2
のせいですね。
(この写真に限らず、多くの写真が逆光で暗くなってしまっていて申し訳ございませんm(__)m。)
舞殿の前で二礼二拍手一礼。舞殿は、“江戸時代後期に造営された社殿中唯一素木造り。
立川流彫刻も、ここでは素木のものが鑑賞できる。”と「境内案内」にあります。(立川流彫刻
についてはこちらをどうぞ。神社さんのホームページの「御由緒」の「社殿の造営」の項も
お読みになってくださいm(__)m。静岡市が“プラモデルの聖地”(こちら等参照)と言われる理由
が記されています。)
手前が舞殿。奥が大拝殿…静岡浅間神社さんの社殿は
社殿は江戸時代後期を代表する漆塗極彩色が施された壮麗なもので、計26棟が国の
重要文化財に指定されている。この社殿群は1804年(文化元年)より60年の歳月と
約10万両の巨費を投じて建造されたもので、信州諏訪の立川和四郎ほか門弟により
彫刻された花鳥霊獣類は繊細を極めている。特に、重層な大拝殿は高さ25メートルで
木造神社建築としては、出雲大社本殿(約24メートル)より高く、まさに日本一の威容を
誇る。
とウィキペディア「静岡浅間神社」の「概要」に記されています。神部神社・浅間神社さん(二社
同殿)の大拝殿が出雲大社さんの御本殿より高かったなんて、今回初めて知りました。
大拝殿は神部浅間両神社の拝殿で、文化2年起工、同11年竣工。楼閣造りで、いわゆる
浅間造の代表的なもの。高さ25mあり、殿内は132畳敷きの広さがある。天井は十間の
合天井となり、その各間に狩野栄信・狩野寛信の「八方睨みの龍」「迦陵頻伽」「天人」の
天井絵を飾る。
(ホームページより引用。狩野栄信についてはこちら 狩野栄信についてはこちら)
浅間造の壮麗な拝殿。〝火打石〟は元は武州の人間ですが(生まれは西東京市)、こちら
をお詣りする度、この勇壮華麗なお社を誇らしく思います。
神部神社さんと浅間神社さんは“二社同殿”で、向かって左が浅間神社さん、右が神部神社
さんになります。浅間神社さんは「冨士神宮」、神部神社さんは「駿河国総社」とされ、御祭神
(主祭神)は浅間神社さんが木之花咲耶姫命さま、神部神社さんが大己貴命さま。御創建は
浅間神社さんが“平安時代の延喜元(901年)に醍醐天皇の勅願によって、現在の富士宮の
「富士山本宮」のご分霊を勧請し、「冨士新宮」としてお祀りされた。”(富士山本宮浅間大社
さんについてはこちら)、神部神社さんは“第十代崇神天皇の御宇(約2100年前)の鎮座と
伝えられ、登呂遺跡の時代からの、この地方ではもっとも古い神社であり、延喜式内社で
ある。”とのこと。(ホームページ「境内案内」参照。「御由緒」のページもお読みになって
くださいm(__)m) ウィキペディア「静岡浅間神社」には神部神社さんは“平安時代より駿河国
の総社とされた。”と記されていますが、全国の総社巡拝もしばらくはお預けですね。
神部・浅間両神社さんをお詣りして、社務所の前を通って八千戈神社さんをお詣りします。
八千戈神社さんは神部神社さんがお祀りする大己貴命さまの荒御魂神である八千戈命さまを
お祀りしていらっしゃるのですが(こちら参照)、こちらのすぐ隣に麓山神社さんへ昇る100段
の石段があるんですよね…「今日も無事100段昇れますように」と、“石段昇降トレーニング”
を始めた頃は祈っておりました(;^_^A。次回は八千戈神社さんの参拝記から始めさせて頂き
ます。