浄妙寺さん、報国寺さん、杉本寺さんとお寺さんのお詣りが続きましたが、続いてお詣り

 

したのは二階堂に鎮座される「建武中興十五社」の一社、鎌倉宮さん。(ウィキペディアは

 

こちら こちらのページもどうぞ。杉本寺さんと鎌倉宮さんの位置関係はこちらをご覧に

 

なってくださいm(__)m。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鎌倉宮さんの御由緒は、神社さんのホームページではこちらになります。御祭神の大塔宮

 

護良親王さまは、“日本の第96代天皇および南朝初代天皇”である後醍醐天皇の皇子。

 

後醍醐天皇といえば日本史の授業で習いました、「建武の新政」…現在は「建武の中興」って

 

いうんですか?。建武の新政→南北朝時代と〝火打石〟はセットで覚えましたが、鎌倉宮

 

さんは“建武中興十五社の一社”。

 

 

 建武中興十五社(けんむちゅうこうじゅうごしゃ)とは、建武中興(建武の新政)に尽力した

 南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社である。これらの神社は「建武中興

 十五社会」を結成している。

 

 後醍醐天皇による建武の中興は、それまでの武家中心の社会を天皇中心の社会に戻そう

 としたものであった。これは、明治維新によって江戸幕府から実権を取り戻し明治政府を

 樹立した明治天皇にとって意義深いものであり、明治以降、建武の中興に関った人々を

 祀る神社がその縁地などに作られた。

 

 

ウィキペディア「建武中興十五社」から引用させていただきましたが、〝火打石〟夫婦は

 

十五社中、今回の鎌倉宮さんを含めて五社参詣しています。(静岡県浜松市の井伊谷宮

 

さん、福井県敦賀市の金崎宮さん、千葉県成田市の小御門神社さん、福井県福井市の


藤島神社さん。) いつかは十五社すべて参詣したいなぁあせる…このSARS-CoV-2の災禍が

 

治まったらの話になってしまいますがショボーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ☜境内案内図はこちら

 

 

 

 

 

 

 

“本殿の後方にある土手の穴が、護良親王がおよそ9か月間幽閉されていた土牢であるという

 

古伝承がある。土窟で2段になっている。” (←ウィキペディア「鎌倉宮」より)

 

 

 

  

 

  

 

 

 

  

 

 

☝鎌倉宮碑

 

 

 

   

 

 

☝御構廟(御首塚)  護良親王さまのお墓は、ウィキペディア「護良親王」に拠れば、“宮内庁

 

が管理する公式の墓所は神奈川県鎌倉市二階堂の理智光寺跡で、入口から長くて急な石段

 

を登りきった丘の頂上にある。妙法寺にも墓がある。”とのこと。(理智光寺跡については

 

こちら 妙法寺についてはこちらをどうぞ) 残念ながら今回はお墓まではお詣りできません

 

でしたショボーン。(この後〝火打石〟が神奈川県立近代美術館鎌倉別館で「関根正二展」を観る

 

予定だったので汗。)

 

 

 

 

 

 

 ☜社務所前にて撮影

 

 

 

 

鎌倉宮さんで拝受した御朱印はこちら☟(*^-^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☝鎌倉宮さんの御朱印帳です。こちらの御朱印帳で護良親王さまの御朱印を拝受できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日お詣りした浄妙寺さん、報国寺さん、杉本寺さん、鎌倉宮さん、どちらも皆何らかの

 

かたちで戦と関わりがあるなぁ…やはり鎌倉は武士の都と実感した今回の寺社めぐりニコニコ

 

鎌倉宮さん参詣の後は夫婦別行動…〝火打石〟は美術展へ。夫は寺社めぐり続行。次回は

 

夫の宝戒寺さん参詣と鶴岡八幡宮さん参詣をUPいたしますねあせる