神社仏閣めぐりを趣味とする〝火打石〟夫婦ですが、“七福神めぐり”や“三十三ヶ所霊場

 

巡拝”などの巡拝にはほとんどこだわりがない汗…長月の「近江国で寺社めぐり」の際は

 

湖東三山」を三山巡拝しましたが、それは例外というべきで、ふだんは気ままにお参り

 

し回っています汗。(浜名湖の「湖北五山」をめぐるのに数年かかりましたし、「鎌倉五山

 

めぐりは浄妙寺さんがまだ残ってるガーン。☜こちら参照  “〇〇七福神”を謳っている寺社さん

 

をお参りするのはしょっちゅうですが、その七福神をすべてお参りしたことはほとんどないドクロ

 

いいのかなぁ?、こんなんで…) そんな私たちですが、「全国一の宮巡拝(こちら参照)」は

 

いつか完拝したいねと夫婦で話し合っている…私たちは関東出身で現在は静岡市に暮らして

 

いるので、一の宮の参拝は東海道に属する国(伊賀国・伊勢国・志摩国・尾張国・三河国・

 

遠江国・駿河国・伊豆国・甲斐国・相模国・武蔵国・安房国・上総国・下総国・常陸国)が中心。

 

その中でまだお参りしていないのが伊賀国敢國神社さんと安房国の洲崎神社さん、上総国

 

玉崎神社さん。安房国と上総国は千葉県ですので、関東に帰省するのに併せてお参り

 

しようと考えていますが、三重県西部の伊賀国は駿府から行った方が近い…伊賀上野城


(ウィキペディアはこちら 観光三重のページはこちら)には「御城印」(こちら)もあるしラブラブ

 

という次第で神無月の七日、日帰り旅行ではありましたが、伊賀国に出撃して参りましたニコニコ

 

 

 

 

 

伊賀国で寺社めぐり…まずは一宮の敢國神社さん(ウィキペディアはこちら)をお参りします。

 

 

 

 

 

 

敢國神社さんの駐車場にクルマを停めて…さすが忍びの国伊賀国、忍者のお出迎えニコニコ

 

 

 

  

 

 

 

 

表参道と裏参道  とりあえず(?)表参道からお参りあせる

 

 

 

  

 

 

“手ばなかむおとさへ梅のにほひかな ばせを”  「ばせを」は俳聖松尾芭蕉のことですね。

 

芭蕉は伊賀国の生まれで正体は忍者だったという説もあるようですが、それについては後の

 

記事で触れることにして…

 

 

 

 

 

敢國神社さんの御祭神は大彦命さま、少彦名命さま、金山比咩命さま。主祭神の大彦命様は

 

“第8代孝元天皇第一皇子。『日本書紀』によると、四道将軍の1人として北陸道へ派遣された

 

という。”とウィキペディア「敢國神社」の“祭神”の項にあります。四道将軍をウィキで調べて

 

みると、“神話での記述”の項に

 

 大彦命は、孝元天皇の第1皇子で、母は皇后・鬱色謎命(うつしこめのみこと)。開化天皇

 同母兄で、娘は崇神天皇皇后の御間城姫命(みまきひめのみこと)、垂仁天皇の外祖父に

 当たる。舟津神社福井県鯖江市)、敢国神社三重県伊賀市)、伊佐須美神社福島県

 会津美里町)、古四王神社秋田県秋田市)等に祀られている。敢国神社の社伝によると

 同神社より北東1.5Kmの所に位置する御墓山古墳は大彦命の御陵とする。敢国神社の

 鎮座する三重県伊賀市は大彦命の子孫である阿閉臣(阿敢臣)の発祥の地とされる伝承も

 残されている。

 

という記載があるのですが、懐かしいなぁ、鯖江市の舟津神社さんニコニコ。2年前の夏の福井

 

旅行の時にお参りしました(こちらの記事をお読みになってくださいm(__)m)。

 

 

 

 

 

 

 

 

☝影になってしまってよく読めませんが、「御鎮座千三百年記念」と碑にあります。

 

 

 

 

 

☝神社さんのホームページの「境内のご案内」のページをご覧になってくださいm(__)m。

 

 

 

 

 

☝拝殿

 

 

 

 

 

☝拝殿の奥に朱塗りの本殿が見えます。

 

 

 

 

 

敢國神社さんの御由緒は、神社さんのホームページの「敢國神社の御由緒」を引用させて

 

いただきますと

 

 

古来伊賀の国の一宮として、当国の人々の総鎮守大氏神として、仰ぎまつってその霊徳に

浴してまいりました。

創建年代は658年ですが、貞観の頃には神階五位を授けられ延喜の制には大社に列せられました。また延長年間には朝廷より社殿が修造せしめられ、南北朝時代には後村上天皇が行幸ましまして、数日間参籠あらせられ、社領の御加増もありました。徳川時代には藩主

藤堂家の崇敬厚く、社殿調度の修営・神器社領の寄進・祭儀神事の復興などが行われ

ました。明治4年5月国幣中社に列せられ今日に至っております。

 

 

とのこと。神社の御創建については、ウィキペディア「敢國神社」(「歴史」の“創建”)から引用

 

いたしますと

 

 

 社伝では、斉明天皇4年(658年)の創建になるとする。これによると祭神の大彦命は四道

 将軍として北陸地方を平定し、その子孫は伊賀国阿拝郡一帯に居住して阿閇氏(敢氏/

 阿閉氏)を称し、大彦命を祖神として祀ったという。また、それとは別に少彦名命を祀る

 秦氏一族があり、これら2柱をもって創建されたとする。創建当初は、敢國神社南方の南宮

 山山頂付近に祀られたが、後に現在地(南宮山山麓)に遷されたという。その後、山頂附近

 の社殿跡には南宮大社より勧請された金山比咩命が祀られたため、その山が「南宮山」と

 呼ばれたともいう。そして貞元2年(977年)、金山比咩命の社殿前の神木に言葉が現れた

 ことにより、金山比咩命を敢國神社に合祀したとしている。(後略)

 

 

とのこと(敢國神社さんのHPの「敢國神社の略史」もお読みになってくださいm(__)m)。ウィキや

 

神社さんの「略史」を読んでいて気になるのは南宮山/南宮大社さんとの関係汗。美濃国

 

一の宮の南宮大社さんの主祭神、金山彦命さまが“敢國神社の本殿に合祀されたのは創建

 

時より319年後の977年のことと記載されています。”(←「敢國神社の略史」より引用)というの

 

ですが…こんなお話を聞くと、南宮大社さんをお参りしたくなっちゃうあせる

 

 

 

 

 

☝でも今日は“伊賀の国お宮めぐり”。日帰りなのが残念ショボーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☝桃太郎岩と末社のむすび社(HPの「史蹟名勝」をご覧になってくださいm(__)m)。

 

 

 

 

 

敢國神社さんの御朱印はこちら☟(*^▽^*)

 

 

 

 

 

全国一の宮御朱印帳にも授与していただきましたニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☝“伊賀忍者ゆかりの神社仏閣29ケ所を専用のご朱印帳伊賀忍者回廊”も購入ニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

二月には伊勢国(三重県北中部)と志摩国(三重県東部)を訪れて、今回は伊賀国(三重県

 

西部)の旅…駿河国より西の東海道に属する国はすべて訪ねたことにクラッカー。いまはクルマも

 

電車もあるから旅もお手軽ですが、昔はたいへんだったわけで…「全国一の宮巡拝」なんて

 

それこそごく限られた人しかできなかったことでしょう(たとえば松尾芭蕉のような)。気軽に

 

巡拝ができることに感謝しつつ、次の目的地、伊賀上野城を目指しますニコニコ