以前にも何度か申し上げましたが、〝火打石〟夫婦の寺社めぐりは基本夫がお参りする
神社仏閣を選定します。(←車を運転するのが夫だから
) 〝火打石〟は夫の寺社めぐりに
ついて行くかたちになるわけで…3/11は水戸市青柳町の鹿島香取神社さんをお参りした後、
向かったのは愛宕町の愛宕神社さん(こちらのページもどうぞ)
。「愛宕神社」は
全国に約900社あり、京都府京都市右京区の愛宕神社を総本社とする。かつて愛宕権現を
祭神としていたが、神仏分離後は多くが伊弉冉尊(イザナミ)や軻遇槌尊(カグツチ)を
祭神としている。(☜ウィキペディア「愛宕神社(曖昧さ回避)」より)
という神社さんですが(京都市右京区の愛宕神社さんについてはこちら)、水戸市の愛宕神社
さんは、“朱雀天皇の治世、天慶元年(938年)に常陸大掾平国香(だいじょう たいらのくにか)
が、山城国愛宕郡(現在の京都市右京区愛宕町)の愛宕神社より分霊をいただき、常陸国
府中(現在の石岡市)に勧請されたのがはじまり”とのこと。(水戸観光コンベンション協会の
ページ(こちら)より引用 御祭神は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)) 平国香という人は
ウィキペディア「平国香」を読むと、「平将門の乱」(☜「承平天慶の乱」参照)で将門と対立した
平貞盛のお父さんなのですね。(没年が承平5年(935年)なのが気になるところですが…)
東国の神社さんは“日本武尊の東征”と“平将門の乱”に関わりのある神社さんが多いなぁ。
(水戸市の愛宕神社さんは、直接「将門の乱」に関係しているわけではありませんが
。)
自らを“東の鄙の女”と思っている〝火打石〟ですが、こうして寺社参詣記を書いていると、
己がいかに東国の歴史について無知なのかがわかる
。正直参詣記を書くのが面倒な時も
ありますが、新たな知識が得られるとやっぱり嬉しくて、また頑張って(参詣記を)書こう
と
いう気持ちになるものです
。
(☝社務所はこちらの右手になります)
愛宕神社さんは国指定文化財の愛宕山古墳(こちら参照)の墳上に鎮座されています。
ウィキペディア「愛宕山古墳(水戸市)」によりますと愛宕山古墳は、“茨城県内では最大級の
前方後円墳で、墳形や出土品の埴輪(円筒埴輪III式と須恵器(壺)などから、6世紀初めごろ
に造られた、古代にこの地にあったとされる「仲国」(後の令制国・常陸国那珂郡)の支配者
(仲国造)の墓と推定されている。”とのこと。(“後円部上に愛宕神社が鎮座する。”ともあり
ます。) 水戸観光コンベンション協会の「愛宕山古墳」の解説には、“古代「仲国」の初祖
建借間命(たけかしまのみこと)の墓であると考えられています。”と記されていますが、
建借間命さまは“市内飯富町の延喜式内社・大井神社の御祭神”だそうで(大井神社さんに
ついてはこちらをどうぞ)…大井神社さんもいつかお参りできるといいな
。
※愛宕山古墳については茨城県教育委員会のページ(こちら)や水戸市のホームページ(こちら)もどうぞ
「水戸のロマンチックゾーン」…“市街地の北西部、水戸八幡宮から曝井の一帯に、太古の昔
から近代までの歴史的遺産があたかも時の流れを忘れたかのようにその姿を留めている。
訪れる人々の心に安らぎを与えてくれる恵まれた緑と湧水。この辺りを水戸のロマンチック
ゾーンと呼ぶ。”と解説にありますが(こちら参照 水戸市ホームページ(こちら)も参照され
たし)、この日の寺社めぐりはこの「ロマンチックゾーン」周辺だったってことになるのかな?。
愛宕神社さん参詣の後、桂岸寺さんや水戸八幡宮さんをお参りしましたし
。
☝梅の花が綺麗に咲いていました…
☝こちらは御本殿
☝お社の周りにはいくつもの境内社が…
☝天満宮
愛宕神社さんの御朱印はこちら☟(*^▽^*)
古代「仲国」の初祖建借間命さまの墓とされる愛宕山古墳の上に鎮座される愛宕神社さん。
現在は周辺は住宅地で、車で入るのが難しいような細い道を通っての参詣…それでも
参道を進んでお参りをすれば境内からの眺めに古代を偲ぶことはできる
。これもまた
寺社めぐりの楽しみの一つ
。この後は“水戸のロマンチックゾーン”を堪能
。続いて
二十三夜尊桂岸寺さんをお参りします。次回参詣記をUPいたしますね
。





















