水戸市宮内町の吉田神社さんをお参りした後、〝火打石〟は茨城県近代美術館で「生誕

 

100年 清宮質文 あの夕日の彼方へ」を鑑賞したのですが、夫は寺社めぐりを続行…美術館

 

の前で〝火打石〟を降ろすと、水戸市宮町に鎮座される水戸東照宮さん(ウィキペディアは

 

こちら 茨城県観光ガイドのページはこちら)に向かいますニコニコ。季節はちょうど梅まつりの

 

時期(こちらを参照なさってくださいm(_ _ )m)、道が混んで夫は難儀をしたようですがショボーン

 

それでもなんとか水戸東照宮さんと別雷皇太神さんを参詣できたそうであせる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☝徳川光圀公が造らせた常葉山時鐘。光圀公ということは“黄門様”ですねびっくり。(☞ウィキ

 

 ペディア「徳川光圀」参照) 

 

 

 

 

 

 

☝こちらにも天満宮が。

 

 

 

 

 

 

☝水戸藩の藩祖の徳川頼房公が、東照宮の御祭神の徳川家康公の三十三回忌に当たる年

 

 に奉納した銅像の灯籠。頼房公は家康公の十一男で、水戸徳川家の祖ということですが、

 

 家康公のお膝元だった駿府に暮らしている〝火打石〟には、「旅先でもまた徳川かいビックリマーク

 

 って感じあせる…水戸徳川家といえば尾張徳川家紀伊徳川家と並んで「徳川御三家」の一家

 

 なわけですが、尾張には度々足を延ばしたことがあっても紀伊までは出かけられていない

 

 〝火打石〟夫婦ショボーン。伊勢まではすでに足を延ばしたのだからなんとか頑張って紀伊にも

 

 足を延ばしたいものですあせる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☝“慶喜(けいき)さん”(☜徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜公のこと。慶喜公が余生を送った静岡では、公

 

 のことを親しみを込めて“慶喜さん”と呼ぶことが多いそうです。)のお父様、徳川斉昭公の考案による

 

 安神車(☞こちらを参照なってくださいm(_ _ )m。) よしながふみ先生の『大奥』(こちらも)

 

 でも強烈なキャラの斉昭公ですが、ウィキペディアを読むと漫画のとおりの人だったんだなぁ

 

 と納得汗。“諡号の「烈公」にもあるように、まさに幕末をその荒々しい気性で生き抜いて

 

 きた人物であった。”(☜ウィキペディアより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「東照宮」とは“東照大権現たる徳川家康を祀る神社である。”(ウィキペディア「東照宮」より)

 

水戸東照宮さんは、“水戸藩初代藩主徳川頼房公により、元和7年(1621年)徳川家康公を

 

祀る神社として創建されました。戦前、社殿は旧国宝に指定されていましたが、昭和20年

 

(1945年)の戦災で焼失し、昭和37年に現在の社殿が造営されました。現在は徳川頼房公も

 

祀られています。”(☜水戸観光コンベンション協会「東照宮」のページより)とのことですが、

 

これで幾つ「東照宮」さんをお参りしたことになるのか?…関東、東海の「東照宮」さんは結構

 

お参りしているなニコニコ(今回のように夫のみの参詣だったりしますが汗)。

 

 

 

 

水戸東照宮さんの御朱印はこちら☟(*^▽^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家康公と慶喜公ゆかりの駿府からやってきた参詣者(☜夫のこと)を御祭神の家康公と頼房

 

公はどのようにご覧になったかはてなマーク…梅まつりの渋滞に難儀しながらお参りした夫を愛でて

 

くださればありがたいのですがあせる。この後夫は水戸市元山町に鎮座される別雷皇太神さんを

 

参詣しましたニコニコ。次回UPいたしますね(;^_^A。