生國魂神社さんをお参りして終わった10/14の〝火打石〟夫婦の寺社めぐり、明けて15日は
“大阪の融通さん”、藤次寺さん(こちらのページもどうぞ)から始まります。
☝「藤原冬嗣公創建 九條家 祈願寺」とありますが、藤原冬嗣公をウィキで調べてみると
“藤原北家、右大臣・藤原内麻呂の次男”と書かれていたので“藤(原)家次男の寺”で「藤次
寺」さんなのかと思ったらそうではなくて
藤次寺は、藤原鎌足から数えて四代の孫、藤原冬嗣公の発願により、その甥である任瑞上人を開基として建立されたと伝えられています。藤原氏を治めるために建立されたため『藤治寺』と号し、藤原氏一門の祈願寺として栄えてきました。
とのこと。(上六うえいくネット「藤次寺」 藤原氏を納めた『藤次寺』 より) ウィキペディア
「藤次寺」(“沿革”)には
藤次寺は弘仁年間(810年~824年)に藤原冬嗣の発願により、甥(おい)の、任瑞上人を開基とする。藤原家の安泰を願い建立された。藤原家を治める寺であるでゆえに、藤冶寺と称していたが、明治初年には、生玉十坊の一つである地蔵院を合併し、藤次寺と改称し、現在に至っている。
と記されています。早とちりはいけませんね。 (九條家についてはこちらを参照なさってください)
☝木の葉🍃で一部隠れてしまっていますが藤次寺さんの略縁起です。御本尊の如意宝珠
融通尊さまは秘仏で、弘法大師さまの御作と伝えられているそうです。(如意宝珠融通尊
さま→宝生如来さまについてはこちら 「仏像ワールド」のページ こちら もどうぞ))
旅行から帰ってこのブログを書く際に知ったのですが、藤次寺さんには2013年に亡くなられた
作家・山崎豊子さんのお墓があるそうです。(こちらの記事をお読みになってくださいm(_ _ )m)
〝火打石〟の母がテレビドラマの「大地の子」を繰り返し観ていたっけなぁ…山崎さんのお墓
に、母に代わって掌を合わせられたら良かった。
藤次寺さんの御朱印はこちら☟(*^▽^*)。朝早い時間のお参りでしたが授与してください
ました。ありがとうございましたm(_ _ )m。
藤次寺さんから地下鉄の駅(谷町線の「谷町九丁目」)はすぐ…7月と昨日、タイムアウトの
お参りとなってしまった四天王寺さん(ウィキペディアはこちら)をリベンジ参詣。
地下鉄谷町線の「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅から南へ徒歩5分(「四天王寺への交通アクセス」参照)、
本日は中之門からお参りです。
☝元三大師堂(「境内ご案内」参照) 夫は現在元三大師さまの御札に惹かれているので
こちらでも拝受したかったのですが叶いませんでした。
☝こちらは大黒堂
☝六時堂の写真は以前の記事でもUPさせていただきました。(こちらの記事を参照なさってくださいm(_ _ )m)
四天王寺さんの御創建は、お寺さんのホームページ(「四天王寺の歴史」)から引用させて
いただくと
四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。
『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏に
ついた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利
したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の
後その誓いを果すために、建立されました。
とのこと…この文章を読んで思い出すのは山岸凉子さんの『日出処の天子』。昨年5月に
信貴山 朝護孫子寺さんをお参りした時も思い出しましたが、学生の頃に読んだ漫画にゆかり
のあるお寺さんを〇十年後にお参りするなんて不思議な気分。
それにしても四天王寺さんのお参りはどうも時間がうまく取れない…7月と昨日はお寺に
着くのが夕方になってしまってタイムアウトな参詣になってしまったわけですが、今回は朝一
で納経所がまだ開いていない。7月にいただけなかった御詠歌の御朱印を拝受したかった
のですが…なので一旦南大門を出て庚申堂をお参りすることにしました。次回に続き
ますね。