午前中は“遠州の小京都”、森町で寺社めぐりを楽しんだ〝火打石〟
夫婦でしたが、午後は袋井市に移動して(静岡県の地図を参照なさって
ください→こちら)、約10年ぶりの遠州三山(ウィキペディアはこちら)詣…
〝火打石〟夫婦が御朱印を拝受し始めたのは2006年(平成18年)の
7月、浜松市北区引佐町の方広寺さん参詣からなのですが(こちらの
記事を参照なさってくださいm(_ _ )m)、この年は遠州での寺社めぐり
が多かった(ような気がする。もっともこの頃はいまほど寺社めぐり
に励んでないけど。) 静岡県は旧国名でいくと西から遠江国
(遠州)、駿河国(駿州)、伊豆国(豆州)となりますが、〝火打石〟夫婦
は遠州での寺社めぐりが多いかな、全体的に見ても…豆州は少ない
。「駿河湾フェリーで伊豆へ
」がここ数年の〝火打石〟の希望
なのですが、2/4は遠州三山再訪…もちろんそれも嬉しいですが、いつ
になったら“豆州で寺社めぐり”を満喫できるやら。(とか言いつつ
この後もちょこちょこ遠州に出てるんだよなぁ…昨年も行った浜松の
「神社・寺カフェ」、今年も足を運んでみようと思って。) まぁ“豆州
で寺社めぐり”はとりあえず置いておいて、如月初めの遠州三山詣を
UP。まずは厄除観音 法多山 尊永寺(ウィキペディアはこちら)
さんから。
参拝客で賑わう参道を歩いて…
国指定重要文化財の仁王門を潜って進んでいきます。(「境内の御案内」参照)
☝黒門 こちらにも明治の廃仏毀釈の影?が…
「境内の御案内」の“境内図”をご覧いただければわかるのですが、
法多山尊永寺さんの御本堂は山の上にあります。“山のお寺”の参詣
で避けて通れない、結構キツイ階段…それを上る前に目に入った
掲示☟。
おお、「御朱印」と力強く…近頃の御朱印ブームを反映しての掲示
でしょうか?。以前参詣した時はこの掲示は無かったような。
“旧慣により納経される方もありますが、多くの方はお参りの証として
「御朱印」をいただいております。” 御朱印について、時々〝火打石〟
も尋ねられることがあるのですが、☝がその答え…(御朱印の)“起源
には諸説あるが、元々は寺社に写経を納めた際の受付印であったと
する説が有力である。”とウィキペディア「朱印(神社仏閣)」にあります
が、現在は“お参りの証”として授与されることが多いという訳ですね。
参拝の記念にと。〝火打石〟夫婦も勿論そうなのですが、それでも
納経の証という“旧慣”は忘れてはいけないと常に自戒しております。
単なる参拝記念のスタンプとして扱ってはいけない。(まして転売など
もってのほか。)
“山のお寺”の宿命()を超えて… 夫婦してだいぶ息切れが
御本堂で合掌
☝こちらは大師堂
☝諸尊堂 北谷寺
☝鐘楼堂
写真でもわかるように、善男善女で賑わう境内…いつもの〝火打石〟
夫婦の寺社参詣と違う。(いつもは二人でひっそりとお参り、という
ことが多い。) この後だんご茶屋で名物の厄除団子をいただいたの
ですが、良いですね、こういう普通の(☜何じゃそりゃ⁇)お参りも…
法多山参詣記、次回に続きますね。