島田市で敬満神社さんと智満寺さんを参詣した後、遠江国に移動して
 
磐田市二之宮の鹿苑神社さんを参詣ニコニコ。地名にもなっていますが、
 
鹿苑神社さんは遠江國二之宮…遠江國一之宮は周智郡森町に鎮座
 
される小國神社さんと掛川市八坂に鎮座される事任八幡宮さんで、
 
一之宮の二社は既に参詣していましたが二之宮の鹿苑神社さんは
 
〝火打石〟は今回が初めての参詣ニコニコ。(夫は以前一人で参詣あせる
 
静岡県の市町村の位置関係はこちらのページを参照なさってくださいm(_ _ )m。)
 
 
 
 
 
“創祀千六百年の御社”と☝にありますが、鹿苑神社さんの御創建は
 
神社さんでいただいてきた「略記」によりますと、“人皇第十七代履中
 
天皇御代四年十月(五世紀初め)現在の浜松市天竜区春野町杉・
 
神戸島(現在は「門島」と表記)に大名牟遅命を御祭神とし、小國六音
 
大菩薩として奉祀され創建されました。”とのこと。(“履中天皇の御代”
 
についてはウィキペディア「履中天皇」参照 “履中天皇御代四年”は
 
403年←こちら参照) 当初の御鎮座の地は天竜区だったんですね…
 
現在地に鎮座されたのは、“人皇第五十七代陽成天皇御代元興五年
 
(西暦八八一年)”。(「陽成天皇」参照)  “現在地においては、当時、
 
香園神社とも高根明神とも呼ばれて居りましたが、現在では鹿苑神社
 
として一般に崇められて居るのも以上の所以で”あります。”と「略記」
 
にありますが、ウィキ「鹿苑神社」には“江戸時代末までは高根明神社
 
と称し、高彦根命を祀っていた。”記されています。「高根神社」に
 
ついては「鹿苑神社略記」には、摂末社として記されているのですが…
 
“高根神社   御祭神 高日子根命  御由緒 高日子根命は鹿苑
 
神社御祭神大名牟遅命(大國主命)の御子。往古より玉垣内に鎮座
 
される。貞享三年二月(西暦一六八六年)再建の棟札あり。”とのこと
 
ですが、“往古より玉垣内に鎮座される。”という記述が〝火打石〟的
 
にはちょっと引っ掛かるな汗… (高日子根命さまについては、ウィキ
 
ペディア「アヂスキタカヒコネ」を参照   なお、ウィキには遠江国の
 
二宮として、湖西市の二宮神社さん(こちら)も挙げられています。)
 
 
 
 
 
 
 
鹿苑神社さんの御祭神は大名牟遅命さま。(「大国主命」) 神社の
 
お名前の由来は、鹿苑神社さんが神戸島に鎮座されておられた500
 
年近くの間、毎年鹿の皮を貢物として宮中に奉納するため、山から鹿
 
を駆り出して神苑内に入れた(鹿の苑ということですね)ことによるそう
 
です。(「鹿苑神社略記」参照) 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お社を参拝して御朱印を拝受しようとすると…
 
 
 
 
「御朱印をご希望の方は 府八幡宮で受付けております。」…おお、
 
それならばいざ府八幡宮さんへDASH!。激しくなってきた雨の中、磐田市
 
中泉のお社へ向かいますニコニコ。(次回へ続くあせる