“越前町で神社めぐり”と書きましたが、今回の旅で越前町で参詣した
神社さんは越前二の宮の劔神社さんだけですから、“めぐ”っては
いないですね…劔神社さんの参詣も〝火打石〟が希望したものでした
。だって劔神社さんて、“織田信長公ゆかりの社”(←劔神社御由緒書
より)なんでしょう?!。いまどきはやり(?)の戦国武将オタクの女子では
ありませんが、信長公ゆかりの神社さんと聞けばやっぱりこれは参詣
しなければという気分になります
。(単なるミーハー←死語
なのでは?)
※越前國一之宮は敦賀市の氣比神宮さんです。翌16日に参詣しております。
越前市から越前町へ(地図参照→こちら)…丹生郡越前町織田の劔神社
さんに到着。駐車場にクルマを停めて、北参道から参詣いたしました。
(劔神社さんのサイトの「境内」を参照されたし)
北入口から入って猿田彦神社、忠魂社、水木稲荷神社と参詣して、
拝殿へ。15・16日は夏祭・忠魂社みたま祭ということで、浴衣を着た
地元の方々で境内は賑わっていました
。
劔神社さんのご由緒…サイトから引用させていただきますと
(→「ご由緒」)
劔神社の創祀は悠久の昔、遥か北に仰ぐ座ヶ岳の峰に素盞嗚大神を
祀り、〝劔大神〟と称えてきたことに始まります。
神功皇后摂政の頃に第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王は、
劔大神の御神威を頂き当地方を治めることができたことを謝び、
現在の地に社を建て〝劔大明神〟と仰いできたことを社記は伝えて
います。
さらに「沿革史」の“劔神社の創祀”では(→こちら)
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劔神社の創祀については、第七代孝霊天皇の御代に、伊部郷の北に 聳える座ヶ岳の峰に素盞嗚大神を祀り、その後、第十一代垂仁天皇 の御代に、伊部臣という人が和泉国鳥取川上宮で造られた千口の劔 の一口を戴き御霊代として祀り、「劔の大神」と称えられてきたことが 縁起として伝えられている。 素盞嗚大神を現在の織田の杜に遷されたことを、座ヶ岳の故事として つぎのように伝えている。(後略 以下は「劔神社の創祀」を参照されたし)
とのことで…劔神社さんの御祭神は素盞嗚大神・氣比大神・忍熊王で
あられますが、素盞嗚大神→スサノオはとにかく(失礼
と忍熊王について少しネットで浚っておきたい
出てくる忍熊王について→「忍熊皇子」参照。ウィキの「忍熊皇子」を
読んでいると、この皇子の背景には“政治的な対立抗争”が透けて
見えますね…神社さんのサイトの“劔神社の創祀”を読むと、その
運命が素盞嗚大神のそれと共通するものがあるような。応神天皇の
異母兄弟で神功皇后との争いに敗れた忍熊皇子。(父は仲哀天皇)
う~ん、前回の記事で記した總社大神宮さんの御祭神、孝謙天皇
を調べていた時にも感じましたが、孝謙天皇も忍熊皇子も政治的
には不遇な方ですよねぇ。そういった方をお祀りする神社さんなのね、
總社大神宮さんも劔神社さんも。(それにしても福井県の神社さんて
神社さん、舟津神社さん、總社大神宮さん、そして劔神社さん。継体
天皇、四道将軍の大彦命、孝謙天皇、忍熊皇子…御由緒に登場する
御名からも、福井県の歴史の深さが感じられます
ついては、氣比神宮さんの参詣記で書かせていただきますね
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“織田信長公ゆかりの社”、劔神社さん…神社さんのサイトの「劔神社
と織田信長公」(こちら)によれば、“当社の鎮座地である越前町織田
は、織田信長公の祖先の故郷です。越前町織田荘の荘官として、また
越前国二の宮劔神社の神官として神社に仕えてきた由緒ある家柄
でした。”とのこと。ご存知のように信長公は本能寺の変で壮絶な最期
を遂げられますが、“織田の人々は信長公の功績と威徳を偲び、御霊
を境内の小松建勲神社に合祀しました。”(サイトより) その小松建勲
神社はこちら↓。
信長公のファンなら参詣必須の劔神社さん
。御朱印はこちらに
なります↓(*^▽^*)。
御朱印帳も渋くてかっこいいですよ
。
劔神社さんの宝物(国宝の梵鐘など)は、大駐車場に隣接する(境内」
参照)越前町織田文化歴史館に寄託されています。(「文化財」参照)
「信長ファン、戦国オタ集合
」…〝火打石〟はそのどちらでもないん
ですけどね
。残念ながらこの日は休館で、“織田のお宝”を鑑賞する
ことは叶いませんでした
。(神社さんなのに梵鐘がお宝なのは→「劔神宮寺
について」こちらを参照されたし。写真↓もどうぞ)
織田氏ゆかりの神社さんの参詣を終えて、時間的に参詣できるのは
あと一社…お名前に惹かれた大虫神社さんを参詣することに
。
〝火打石〟夫婦は生き物好きなんですよね
。8/15最後の参詣の
様子は次回UPいたしますね(;^_^A。
























