千葉神社、千葉寺、千葉縣護國神社、厳島神社と続いた“千葉市で
寺社めぐり”の記事ですが、その中で何度か出てきた千葉氏…その
九代当主・宗胤(→「千葉宗胤」)が開基のお寺、宗胤寺さん。如月
27日の寺社めぐりの〆はその宗胤寺さんとなりました(=⌒▽⌒=)。
(千葉氏の系図についてはこちらのページもどうぞ)
宗胤寺さん
宗胤寺さんには千葉宗胤の墓碑と伝えられる五輪塔があります。(→
こちら)
宗胤寺は、室町時代に千葉宗胤により開基されたと伝えられる曹洞
宗の名刹です。もとは千葉市の中心部、県庁から都川をはさんだ対岸
にありましたが、昭和20年の戦災で焼失し、現在の地に移りました。
本尊は、木造十一面観音坐像で、光背裏面に貞享5年(1688)の造立
銘があり、江戸時代の作とみられています。
境内には千葉宗胤の墓碑として伝わる五輪塔があります。(中略)
この五輪塔は、室町時代の様式をよく遺していますが、上部の空輪・
風輪は、江戸時代に補修されたもので、石材の質が火輪・水輪・地輪
とは異なっています。
(※「室町時代」は、“学校教育においては、1338年を室町時代の開始
とし、1573年までの235年間としている。”とのこと←ウィキ参照)
掲示板の文章を引用いたしましたが、千葉宗胤は1265生-1294没(30
歳でお亡くなりに!←ウィキ参照)ですから、お寺の開基は13世紀末
頃ってことですかね?…“宗胤開基”とするならば(;^_^A。“ココログ”
「房総史譚」の“千葉宗胤が父の供養に建てた宗胤寺”のページ(→
こちら)には
九州千葉氏の祖千葉宗胤が元寇の際に殉職した父頼胤ら一族や
将士の霊を弔うために建立したといいます。
という文章が記載されていますが、“宗胤開基”ならばお寺の開基は
鎌倉時代ってことになりますよね。(※「元寇」→文永の役1274年・弘安
の役1281年←ウィキ参照) 「房総史譚」には続いて
室町時代の中期、氏胤の裔、原高胤、千葉氏の執政となるや、奥州
胆沢郡永徳寺二世巨海の法嗣、聖山志堅和尚を請うて、中興の開山
となした。
とあるのですが、“氏胤の裔、原高胤”についてウィキで浚ってみたの
ですがごめんなさいちょっとよくわからないなぁ…。千葉氏胤は
“千葉氏第13代当主”(←ウィキより)とのことですが。まぁ〝火打石〟
なりにまとめると、宗胤寺さんの開基は鎌倉時代(13世紀末頃)、お寺
の中興、五輪塔建立は室町中期ということになるのですがこれで良い
でしょうか??。
御朱印はこちら↓(*^▽^*)。
千葉市中央区で寺社めぐりをして早1ヶ月…梅は咲いたか桜はまだ
かいな、桜の開花もあちこちで聞かれますが、今年は駿河の桜はちと
遅い。昨日(3/27)は遠州は浜松市天竜区で寺社めぐりを楽しんだ
〝火打石〟ですが、その記事をUPする前にもう一つ、下総国の記事を
…寺社参詣ならぬ教会見学、カトリック西千葉教会さんを見学させて
いただきました(*^▽^*)。とはいってもほんとに見るだけ、教会の方と
お話しすることもできなかったのですが。そんなこんなでなんだか
申し訳ないのですが、次回写真をUPさせていただきますね。