昨年の師走、風邪の身を押して“温泉に入らない熱海日帰り旅行”を


敢行した〝火打石〟夫婦ですが、今年も行きました温泉に入らない


日帰り旅行…病の身を押して汗。ずっと以前から行きたい行きたい


と言っていた伊豆の修禅寺に思い切ってGOビックリマーク。出かけられるうちに


行けるトコ行っとかないと、という次第で第47回衆議院議員総選挙


投票を済ませてからいざ出発DASH!



  修禅寺 さん   こちら


静岡県の神社仏閣を多く参詣している〝火打石〟夫婦ですが、


いわゆる観光名所にはあまり出かけないのが私達(;^_^A。県内の


有名な古社・名刹というと…県東部なら三島の三嶋大社 、富士宮の


富士山本宮浅間大社 、伊豆下田の玉泉寺了仙寺こちら も)―


玉泉寺と了仙寺は“開国に大きな役割を果たした二寺”ですね―、


県中部では“御鎮座400年 ”の久能山東照宮 、県西部では火伏せの


秋葉神社の総本社・秋葉山本宮秋葉神社浜名湖かんざんじ温泉


舘山寺 というところでしょうか?。(以上、『地図でめぐる神社とお寺』


帝国書院 武光誠著P80-81参照) 上記の寺社の中では下田の二寺


に未参詣…伊豆半島が“空白のエリア”になっちゃっていますね汗


観光地・伊豆が未踏のエリアというワケですあせる。今回の修禅寺参詣


を伊豆踏破(?)の第一歩としたい〝火打石〟。珍しくストレートに観光


名所に向かいます(‐^▽^‐)。



修禅寺



修禅寺



修禅寺



修禅寺



修禅寺



修禅寺



修禅寺


さすがに観光地、人が出ていてシャッターチャンスがなかなか掴め


ない…いつもと勝手が違いますあせる



修禅寺



修禅寺


807年大同 2年)に空海 が創建したと伝えられ、その後の約470年

間は真言宗 に属していた。当時は周辺の地名が桂谷であったこと

から、桂谷山寺と言われ、『延喜式 』には「伊豆国禅院一千束」と

書かれる程の寺院であった。

その後、鎌倉時代 初期に修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と

呼ばれるようになった。また、源頼朝 の弟の源範頼 と、頼朝の息子で

鎌倉幕府 2代将軍源頼家 が当寺に幽閉され、その後この地で

殺害されたとしても知られている。

建長 年間(1249年 - 1255年 )に密偵 と疑われていた蘭渓道隆

が避難のために来住し、それに伴って臨済宗 に改宗された。蘭渓

道隆は、南宋理宗 から「大宋勅賜大東福地肖盧山修禅寺」という

額を賜り、大陸にまで修禅寺の名を広めた。しかし、この寺額は

1863年文久 3年)の火災で焼失した。

その後、1361年 康安 (元年)の畠山国清足利基氏 の戦乱の被害

を受け、更に1409年応永 9年)の大火災で伽藍 が全焼し、荒廃

した。

その後、伊豆 一国を収めた伊勢新九郎長氏(北条早雲 )が、彼の

叔父の隆渓繁紹曹洞宗 の寺院として再興させた。

現在の本堂1883年明治 16年)に再建したものである。2007年

平成 19年)には開創1200年祭が行われた。”(←ウィキペディア

修禅寺 」歴史より引用)


源氏ゆかりのお寺、修禅寺さん。〝火打石〟がこのお寺の名前を


知ったのは岡本綺堂 の「修禅寺物語 」からでした。若い頃歌舞伎


ファンだった〝火打石〟ですが、残念ながら綺堂のこの新歌舞伎の


舞台を観たことはありません汗。ただその“芸術至上主義”な


面作師・夜叉王と気位の高いその娘・桂の物語はとても印象深くて、


ずっと忘れられなかった…歌舞伎の舞台は観られませんでしたが、


こうして物語の舞台を目にすることができた!。この日の感激は一入


でした≧(´▽`)≦。



修禅寺


〝火打石〟の感激はさておき、いつもどおりの行動、御朱印を頂き


ます(*^▽^*)。



修禅寺


御札も購入しました(*^▽^*)。



修禅寺


宝物殿 (瑞宝蔵)も拝観しました。写真撮影は不可だったので


入口のあったスタンプをUP(*^▽^*)。



修禅寺



参拝、御朱印授与と行動はいつもと変わりませんが、気分的には


いつもとかなり違う〝火打石〟夫婦。今日はゆっくり観光客らしく


行こうって、じゃあいつもはどんな寺社めぐりしてんのよ、まったく…


スケジュールもこの日はゆとりを持って、次に向かったのは日枝神社


さん。修禅寺さんのお隣に鎮座されてます。次回UPいたしますね!。