勤労感謝の日は掛川の資生堂アートハウスで「小村雪岱展 」を観て、
続いて寺社めぐりに突入…病みあがりでスタミナ不足を実感しつつ、
利神社さんへ参詣。利神社さんは資生堂アートハウスに隣接している
ので徒歩で移動(*^▽^*)。その途中にこんな↓看板が!
足元にはドングリがポロポロ…彼らにとって御馳走なんでしょうね。
〝火打石〟夫婦だって拾って食べようとしたのさ、何年か前
。
ドングリクッキー…見果てぬ夢となっていますが
。
利神社さん
↑利神社さんの“勧請年代は不明”、御祭神は大歳御祖神…“1,100年
以前から鎮座し由緒も正しいお社”だそうです。
御朱印はいただけませんでした
。
赤尾澁垂郡辺神社さん
こちらの神社さんはその長いお名前から察せられるとおり、明治時代
国策で、“境内神社や旧高尾地域内大小数社の合祀が行われる。
赤尾神社・澁垂神社の合祀を始め、郡邊神社(別名六所大明神・
延喜式内社)・若一王子神社・八幡神社・山名神社・敢國神社・天伯
神社・八面神社・津島神社・天神社・注連神社等が、移転遷座を余儀
無く合祀となった。”(↑上の写真を拡大してみてください)そうです。
いくつもの神社さんが合祀されたわけですね。
若一王子神社・八幡神社・天伯神社・八面神社・津島神社・天神社・
注連神社・御所の森神社の各神社さんが合祀されているそうですが…
なんか複雑な気持ちになる〝火打石〟。南方熊楠を思い出しますね。
“彼は自然保護 運動における先達としても評価されている。特に
神社合祀令 に反対運動を起こしたのは、それによって多くの神社の
鎮守の森 が失われることを危惧したことによる。”(←ウィキペディア
「南方熊楠」より引用) う~ん…“神社合祀(じんじゃごうし)とは、神社
の合併政策 のことである。神社整理ともいう。複数の神社の祭神 を
一つの神社に合祀 (いわゆる稲八金天神社 )させるか、もしくは一つ
の神社の境内社にまとめて遷座 させ、その他の神社を廃することに
よって、神社の数を減らすというもの。主に明治時代 末期に行われた
ものをさす。”(←引用同) “神社合祀(整理)”が明治時代、国策として
は必要なことだったのは理解できるのですが、それでも…まぁそんな
ムズカシイことを考えるのはひとまず置いておいて、お参りして境内を
散策した、その写真を次回UPいたしますね(*^▽^*)。












