日本橋で寺社めぐりを楽しんだ後、〝火打石〟夫婦は何故か羽田を
目指します。何故か、というのは…私達の通常の帰省ルートから、
羽田はちょっと外れるからです(>_<)。東海⇔関東の帰省ですから、
途中寄り道をするといってもそうあちこちに行ける訳でもないんです
よね
。帰省ルートから外れる場合はそれなりに余裕を持って行動
しなければなりません。この日はその“余裕”が持てた…日本橋の寺社
めぐりを切り上げ、ルートから外れる羽田に行くことを望んだのは
〝火打石〟。羽田空港美術館の「細川家の絵師たち展 」を観たかった
というワケですが、それと併せて穴守稲荷さんを参詣したかった…。
昔、〝火打石〟が上野の会社で働いていた頃、京浜急行で何度か
羽田の方へ出かけることがありました。品川から北品川、新馬場、青物
横丁、立会川……糀谷、大鳥居、穴守稲荷。その頃は寺社めぐりの
趣味はなかったのでただ駅名として覚えていただけですが、現在の
〝火打石〟はその名前に反応する
。羽田空港の美術館というの
も興味あるし…帰省前に“行きたい美術展リスト”を作成し、その周辺
の神社仏閣を軽く調べていたので、それなら羽田へGO!!となり、行って
まいりました○年ぶりに空港の地へ
。
穴守稲荷神社 さん
穴守稲荷さんの御祭神は豊受姫命。“トヨウケビメは、日本神話
に登場する神 である。豊受大神宮 (伊勢神宮 外宮)に奉祀される
豊受大神として知られている。”(←ウィキより引用) “神名の「ウケ」
は食物のことで、食物・穀物を司る女神である。後に、他の食物神の
大気都比売 (おほげつひめ)・保食神 (うけもち)などと同様に、
稲荷神 (倉稲魂命 )(うかのみたま)と習合し、同一視されるように
なった。”(←引用同) いただいた神社さんの略記には
社伝に云う。文化元年の頃(西暦1804年頃)鈴木新田(現在の空港内)
開墾の際、沿岸の堤防しばしば激浪のために害を被りたり。或時堤防
の腹部に大穴を生じ、これより海水侵入せんとす。ここにおいて村民等
相計り堤上に一祠を勧請し、祀る処稲荷大神を以てす。これ実に当社
の草創なり。(←社史より引用)
と記されています。この略記にも、“そもそも稲荷大神は、畏くも伊勢の
外宮に斎き祀られる豊受姫命にましまして、衣食住の三要を守り
給える最も尊き大神なり。”とあります。そうなんだ…正直〝火打石〟
は日本神話の神様ってよくわかってなかったりします
。ギリシャ
神話の神様の方が詳しかったりして
←絵画鑑賞が趣味ですので、
自然覚えるんですね、あちらの神様のこと。もちろん西洋絵画ばかり
観ている訳ではないのですが…なのでこうして参詣記を書きながら、
同時に日本神話について勉強させていただいています(*^▽^*)。
それはさておき穴守稲荷さんは、
殊に当社は明治以来、大正・昭和を通じて、最も隆昌に至った。参拝
の大衆日夜多く境内踵を接する如く社頭又殷賑を極め、崇敬者は国内
は勿論遠く海外にも及べり。然るに昭和二十年八月終戦にのぞみ、
敗戦と云う未曾有の大混乱の中、米軍による羽田空港拡張の為、
従来の鎮座地(東京国際空港内)より四十八時間以内の強制退去を
命ぜられた。同年九月、地元崇敬者有志による熱意の奉仕により
境内地七百坪が寄進され、仮社殿を復興再建。現在地(大田区羽田
五丁目2番)に遷座せり。(←神社略記 社史より引用)
という苦難の歴史が…これも知りませんでした
。“四十八時間以内
の強制退去を命ぜられた。”って、そんな…それでも
爾来崇敬者各位の協力により、社殿・奥宮・神楽殿・社務所・展示場・
神輿庫・納札所等復興し、目下境内整備を実施中にて、漸次昔日の
面影を取り戻しつつある次第なり。(←引用同)
とのことですので、良かったですねぇ(*^▽^*)。読んでいて嬉しくなり
ました。
↑「お穴さま」とも呼ばれている奥之宮。こちらの「お砂」を持ち帰って
敷地内または玄関などに撒く、あるいは身につけると願いが叶うと
古くから大勢の信仰を集めているそうです。(神社略記より)
御朱印をいただいてまいりましたが、ちょっと失敗
。穴守稲荷さん
の御朱印帖を購入して、そちらでいただけば良かった
。だって
穴守稲荷さんの御朱印帖、さすが羽田の神社さん、飛行機の柄なん
ですもの!。気がつかないで持参の御朱印帖を渡してしまって
。
いまでもちょっと悔しいです
。
羽田の神社さん…穴守稲荷さんに続いて参詣したのは羽田の神社
さんそのもの、羽田神社さん
。「羽田の氏神様」であり、航空会社
各社の崇敬念も篤い羽田神社さん、参詣してまいりました(*^▽^*)。
次回はその様子を記事にいたしますね
。











