父のニワトリ飼育記 | 気まぐれアラホラ通信

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ニワトリ、飼ってみたい?

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東京タワーがまだ建設途中だった頃。
 
桜島を見据えて貧乏生活を送っていた父方の一家
その長男坊であった当時10歳頃の父は、祭りの出店で
ヒヨコを買い、それはそれは大切に育てた。
毎日野草を採ったりミミズを捕まえたり、そんなこんなで
立派に成鳥に育ったわけだが、案の定オスだった。
 
とにかく陽が昇ればコケコッコーと鳴くので防音の概念が無い時代
飼っている側も隣近所もたまったもんじゃあない。
 
結局のところ「元気なうちに食べてしまおう」と決まり、生活苦も手伝って
淋しい思いを胸に可愛がって育てたニワトリを食べたそうな・・・が!
トリうまかー!
淋しさも思い出も吹っ飛んだ、肉を口にしたのは何年ぶりだろうか
一家の長男が育てた雄鶏は一家の台所事情を2日ほど解決したのだ。
 
時は流れて父は我が父となったわけだが、その時のニワトリの影響か
動物の話題が出るとまず食べられるのか美味いのかという方向にもってゆく。
 
はじめてパンダを見た時の感想も「クマ肉の料理法なら絶対に美味いはず」
そして幼い頃、海水浴に連れて行って貰った際には沖合で小海老をひょいと
すくい踊り食い、生物に自然界の神秘を感じる母とは話題こそ共通するものの
趣旨が全く異なるので話題が盛り上がったそばから終了、というのがお約束。
 
父はニワトリの話を聞くと今でも語り草なのだ、逞しい・・・
未設定
P.S.
戦争は終わり、祖父は五体満足で生還したものの国からの支援は
受けられなかった。祖父は最前線で戦ったにも関わらず一発被弾
する事無く部隊を転々とするなか無傷で生き残り続け、終戦と共に
故郷の土を踏み、戦場で体験した不思議な導きから占い師となった。
時代が時代なので収益は乏しいものの、天寿を全うした。遺品の中に
手書きの護符・陣などが大量に残ったが気味悪がられ廃棄された。
祖父の血筋かどうかは不明だが、父は温泉を感知する素質に恵まれ
栃木県内の巨大温泉施設には今も父が掘り当てた源泉から湯が出続けている。
 
俺にも何か探し当てるスキル無いの?ビンテージトイ探知とかではなくて。