久松大樹にとって、この10年間は、生きる意味を探し続けた10年間だった。
19歳の時に、当時の自分が知っている生き方、人生、その延長線上には、生きる意味が『ない』と猛烈に感じた。
そして、心のままに10年間生きることを決めた。
心のままに10年間生きるとは、10年間何も決めないという事だった。
この限られた命を何にどう使ってゆくのか。
そんな途方もないほどの問い。
そして、この人生でかけがえのない、その答えが見つかるまで、到底、このいのちの使い道を決めることなどできなかった。
そして、まさに10年が経とうとしている、いま。
今、久松大樹は、この境地にいる。
『生きる意味は、死ぬほどある』
138億年を背負った今、このいのち。今までの全てのゆめ、ベクトル、願いが、このいのちの中に埋め込まれている。
宇宙とは、奇跡の誕生という生と、想像的破壊という死の循環の、歓喜のいのちの祭りなのだ。
そう。
いま、このいのちそのものが、祝祭だった。
そうして今、残りの人生の時計を片手に、今を見つめる。
さて、どこへ行こう。
いやどこへ行くこともない。
あなたの世界は、あなただけの世界。
心のままに生きよ。
まず、自分を愛して、愛して、愛し続けること。
自分のいのちを、細胞レベルで、全てを愛し抜く。
そうすると、やがて、深いところから、願いや声が湧いてくる。
本当の自分とは、いまこの瞬間を愛し抜くことから始まっていく。
さて、核は、宇宙へ打ち上がり、大感動の花火となる。
いま、この宇宙と一体となって、全信頼をおいて、共に遊んでいく。
だって、この宇宙だって、自分自身を全部使って、壮大なる遊びをしているんだから。
俺たち全てのいのちは、この宇宙を遊んでいる、遊び心あふれる冒険者なんだ。