陽射しの柔らかいある日のことだった。

放課後の教室、ひとりで机に丸や四角を削っていたら
隣のクラス担任の山口先生が入ってきた。

山口先生はその手に大きな木の定規を持っていて
どこか苛立っているようだった。

前のほうから両端の席をパシパシ定規で叩きながら
自分の席のほうへと近づいてきた。

ぼくは持っていた彫刻刀をそっと机の中にしまい
うかがうように先生を見上げた。

僕の目の前に立った山口先生は
大きく息を吸って荒々しく鼻をふんっと鳴らした。

瞬間、恐ろしく固そうな鼻毛が吹き矢のように
耳のあたりをかすめていくのがわかった。

ぼくはあやうく気絶してしまいそうだった。
お腹が急に痛くなり始めた。


「てぇーーーい」
山口先生が突如叫んだ。
ぼくはあまりにもびっくりして思わず起立、気をつけ、礼までした。

「おい、××」
先生がぼくを睨んだ。
「おまえは、1+1がわかるかっ」

ぼくは直立不動のまま口をぱくぱくした。
「あ、はい、山口先生、1+1は3です」

「ばかやろう、1+1は2だって何回言えばわかるんだっ」
「すみません、でも、1+1は3だと思います」

「××、よく考えろ、よーく考えるんだ、いいな?」
「…。はい、よく考えましたが、1+1は3だと思います」
「なんでだ、このばかやろう!」
「…すみません」

山口先生の若い顔がみるみる赤くなって湯気が出ていた。
ぼくはそっと座った。

「おまえはいつもそうだ、なぜ分からんのだ」
「……」
「誰だってわかる。答えは決まっている」

ぼくは先生を見上げた。
山口先生が少し年を取ってしまったように思えた。
顔にしわがあらわれ、髪のあちらこちらに白髪が見えていた。

「こっちの1は1、あっちの1は1。足したら…2だろーが!」
「それはわかるんですが、でも、やっぱり、ぼくは…」
「シャラーップ!」

先生が定規で机を思い切り叩いた。
定規が割れて、破片が飛んで、天井に突き刺さった。
ぼくは息をのんだ。

「先生、すみません…」
「おまえはほんとに…」


先生が咳き込んだ。

ふと先生の顔を見上げると
驚くことに、先生は一気に老けてしまっているようだった。

眉毛が白くなり、顔がしわくちゃになり、定規を握りしめていた力強い腕も
今では血管が浮き出て、よぼよぼの老いた細い手になっていた。


みるみるうちに老けてしまった山口先生は
もう大きな声で叫んだりはしなかった。

「最後に、もう一度考えてみなさい」
先生が静かにつぶやいた。


ぼくは一生懸命に考えた。
とても難しい問題だった。


「山口先生、1+1は…やっぱり3でした」
ぼくは少し悲しい気持ちになった。

老いた山口先生はぼそぼそと聞きとれないぐらいの小さな声で
何かつぶやき、やがて、遠い目をしたまま、何度か首を上下に揺らした。

「……そうか。そうだな。1+1が3になることも、あるんだな」


山口先生は静かに息をはき、
回れ右をして、一足ごとにヨイショとつぶやきながら
ゆっくりと教室を出て行った。

しばらく黙ってそれを眺めていたが
ぼくはまたすぐに、机の中の彫刻刀に手をやった。

放課後の教室は静かだった。


そんな夢をみた。