子供の頃から、何気に続けていた、演劇の世界へ行きたい

やっぱ役者やろうと、

大大ファンだった晶文社それも新卒で入った、を辞めて

小さな事務所でMCの仕事をもらってたころ

 

ある日、どこかの名画座で古い映画を見終わり

場内に明かりがついたら前の席に唐さんが居た

 

わっ

上京してからズゥと赤テントの芝居を! 

唐さんが!と話しかけ 手帳にサインをもらった

 

あとでじっくり見ると

細いペンでキッチリと文字は美しい

 

その時『やっぱり唐さんの芝居がやりたい』

でも

状況劇場は怖い!!!アングラカッコイイけど 

無理

この普通の肉体、精神ではあの役者群に入れない;

 

それから間も無く

 大鶴義英という人が『下町唐座』の役者募集していた

 

そうか唐さんの名前の劇場!

きっと唐さんの許可で大鶴さんがやるんだ!と

 

それに、事務所は丸の内線「東高円寺」私もこの駅に引っ越したばかり ドンピシャ

 

試験会場の事務所2階に上がると板張りの広間に座って居たのは

 

 唐さん本人 

 

その後、下町唐座で唐さんの姉役で舞台に出ることになる

 

在籍は3年くらい 麿さん、鷹さん、と絡み、

当てがきもしてもらった公演直前、遁走した。

 

その後、次の職業(写真撮影)に就いて数年たち、花園神社公演中詫びに行き、許され

それからほぼ毎回、お客さんを連れて、アラ還さんはテントに通っている

 

今日は春公演 二日目これから花園神社に行きます。

 

+++++++++++++++++++++++++++++++;

20代の終わりにいた下町唐座公演は

とにかく大勢のお客さんが太鼓橋を渡って芝居小屋に入る

 

主演の『緑魔子』さんにしても板張り巨大な空間に「声が吸い取られる」と

+++++++++++++++++++++++++++++++;

 

下町唐座を検索したら

武蔵野デジタル出版の方の情報が出てきたので載せさせてもらいます

 

引用

 

1988年の大学時代に、唐十郎率いる唐座の演劇
「さすらいのジェニー」を観に行きました。

豊橋から東京まで、青春18キップか深夜バスだったか、
演劇研究会仲間とワイワイしながら、劇場に行き、
黒と赤の劇場の建物に驚き、唐十郎、緑魔子、麿赤児、石橋蓮司の芝居に驚き、
とにかく
「スケールに圧倒された」

インパクトは30年以上経った今でも鮮明に残っています。

安藤忠雄氏の本を読んでいたら、偶然、安藤氏の設計であること知った。

1988年はバブル真っただ中で、小屋と言ってもその建設費は

2億5千万円だったそうだ。

それをセゾングループの堤氏が助け舟を出した。
 

「シルエットは真っ赤なテントによく映え、

 唐が率いる役者たちは、寒中に水に飛び込み、
 裸の身体から湯気を立てながら 走り回っていた」


(参考:安藤忠雄「仕事をつくる 私の履歴書」、日本経済新聞出版社)

 

#安藤忠雄#唐十郎#芝居小屋#1988年#飛び込み