フィリピン再挑戦の旅④〜ヤマシタシュライン | Kenichiのブログ

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眺めのいい部屋に泊まったので、朝はゆっくり満喫します。
そのあと昨朝マニラから来たバス道を、ジプニーでラガウェまでちょっと引き返しました。
そこでほぼお昼が近かったから、ターミナルの大衆食堂でこんな感じ。

だいたいバスターミナルで食事をとると、安くて選択肢が多いから助かるんですよね。
ただここで驚いたのは、コーヒーが飲めるのはアリとして、インスタントと別に20ペソ(60円弱)でドリップコーヒーが飲めたこと。
来るときの機内以来、久しぶりです。
このエリアには、有機コーヒーをやってる農園があるらしいんですよね。

さて何故ラガウェまで戻ったかというと、そこから脇にそれてキアンガンという村に向かうためです。

ここにもイフガオ族のそれなりに有名な棚田があるらしいんですが、それはもう昨日桃源郷を見たからかまいません。
ただそれ以外にこのキアンガンは、太平洋戦争のフィリピン戦線で山下泰文将軍が降伏した場所でもあるのです。
その記念碑や公園があるという情報を得ては、歴史マニアが来ないわけにはゆきませんよね。
ただしラガウェからキアンガンまでの移動はバスやジプニーの便がかなり少ないので、昨日紹介したトライシクルが基本らしい。

“Lonly Planet“情報では100ペソが相場と書いてあったんですが、道々捕まえるトライシクル運転手はみんな150ペソと言ってきます。
う〜ん、この国でもコロナ禍を挟んで物価が上がったということなのか〜と思って諦めかけたら、次に停めたトライシクルは「30ペソ」だと言います。
「130ペソ」の聞き間違いかと思って200ペソ札を降りるとき渡したら、ちゃんとお釣りが170ペソ返ってきました。
思い当たるフシがあるのは、このトライシクル、人が乗るサイドカーには既に「チキン」が途中まで載せられていて、自分はバイクの後部荷台に乗ったんですよね。
つまり昨日の峠道と同じく「ついで」乗車。
う〜ん、トライシクル料金体系の世界は、なかなか奥が深いのかも知れません。

さてそのトライシクル運転手さんは、キアンガン村の中心部にある民宿(この国では「ホームステイ」と呼びます。)を紹介してくれました。
こぎれいなトイレ水浴び付き個室が500ペソ(1300円弱くらいかな)なんだから、悪くはありません。
まあクーラー無しの扇風機で自分は充分だし、水道が出なくて大きなバケツから水浴びするパターンは、かつてのフィリピンではよくありました。
個室に水浴びトイレルームが付いてるだけでも、良しとしたもんです。
ただ昨日のパナウェもそうだったんですが、内陸なので日中は結構暑い。
昨日歩きまわった疲れもかなり残ってたので、まずは部屋で扇風機に当たって休憩です。

そんなわけで部屋を出たのは、午後2時頃だったでしょうか。

まずは近くにある「ヤマシタ降伏の地」(グーグルマップの表記より)へ足を運びます。
ちいさな記念館はコロナ禍以来か閉鎖中とマップにもありましたが、鉄格子の扉ごしに内部は多少見ることが出来て、ご覧の感じ。

ちなみにこんな場所にも「世界が平和でありますように」の標柱を立てに来てる世界救世教は、たいしたもんです。
(これまで世界中の戦跡で、ほんとによく見かけます。)
その前には、当地でのフィリピン側戦没者の名前がズラリと千人以上はありそうな石碑もありました。

この戦場では、イフガオ族の人たちがアメリカ軍に協力して、日本軍と戦ったと言われてます。
ただそれ以外に、敷地内には教会があったりイフガオの民族資料館があったり。
後者には無料で入れましたが、戦争中の展示ではなく、棚田技術や織物技術などが紹介されてました。


そして次は、村はずれにあるヤマシタシュラインの公園へ〜。
でもその前に、まだだいぶ暑かったので雑貨屋さんに寄り、マウンテンデュー(ペプシ系)をいただきましょう。
最近この国でのマウンテンデューは、蛍光色の派手なプラスチックボトルで売られてます。
コロナ前に来たときも、そうだったかな?

この目立つ色合いがフィリピンの人たちの心を捉えたようで、あちこちでこの蛍光ボトルをリサイクルした飾りを見かけるんですよね。
自分もお土産に欲しかったから、ここで見つけていとうれし。
雑貨屋のおばちゃんが、「日本から来たのかい。
実は私の父には日本人の血が入ってるんだよ。」と言ってくれるオマケ付きでした。
そんな人にとって、この村のヤマシタシュラインは、どんな存在なんでしょうねえ〜。

さて冷たいマウンテンデューを飲み干して、いよいよその公園に参ります。
トライシクルなどでも、「日本から来た」と言えば「ヤマシタシュラインに来たのか」と言われる、地元でも有名らしい広い公園です。
ただこの場合「シュライン」というのは、どう訳したらしっくり来ますかねえ。
この単語で真っ先に思い浮かべる訳は「神社」ですが、「山下神社」では、かなりイメージが違います。
山下廟、山下聖堂、どれも目の前にあるでっかなモニュメントのイメージと重なりません。
そもそも正式名は「キアンガンナショナルシュライン」らしく、それなら「国立キアンガン聖堂」あたりに訳したいですよね。
でも今日自分が会った現地の人は、みんな「ヤマシタシュライン」と呼んでました。
それほど、かつて山下泰文という軍人は、有名な敵役だったということなのか…。

参考までにモニュメント前の解説文も撮ってきました。
"Veterans affairs office"は日本語なら「退役軍人協会」でしょうか。
ここでもヤマシタの名前は敵役でチラッと出て来るだけ。
実はこの解説板の脇に、真っ黒に塗り潰された石版もあり、当初は別の説明が付されてた感じなんですよね。

写真だと判りにくいですが、張られた横断幕には「勝利78年記念」と書かれていて、去年9月(ミズーリ号での降伏文書調印の日)に大イベントがあったっぽい。
その際に書き換えられたのかも知れません。

ただこの時間の自分はかなりしんどくて、モニュメントの日陰でぶっ倒れて休んでました。
この公園の一角にもかなり立派なイフガオ族の資料館が併設されてたんですが、そちらを観る気力もありませんでした。

長旅してると1日か2日くらいはそういう日もあるもので、そんな日はゆっくり休んで今後に備えるのが、実は良かったりします。
ただそれも1ヶ月や2ヶ月の旅ならともかく、2週間の旅ではロスの比重も高い。
…てか、そんなことよりコロナ禍を挟んだ加齢による体力減退を甘くみてるのか?

ホントはその後、棚田のビューポイントまで足を伸ばすプランもあったのですが、だいぶ手前に日本でもありそうな風景が眺められたあたりで自重しました。
民宿に戻って併設のレストランで、口当たりが良さそうなスパゲッティで夕食にします。

土曜の晩はカラオケ好きなフィリピンの人たちが、近所で大音量で盛り上がってるのが、らしいBGMです。
#フィリピン
#キアンガン
#ヤマシタシュライン