時代に取り残されてゆきそうな〜大多府島 | Kenichiのブログ

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クリスマスのイブを過ごしたパートナーと、翌日に青春18きっぷを活用して大多府島に行ってきました。
…といっても、どこだかご存知ない人も多いでしょうね。
山陽本線の相生から海岸沿いを走る赤穂線に岐れ、岡山県に入ってすぐ。
最近はカキオコ(牡蠣のお好み焼き)で有名な日生で下車すると、沖合に散らばる日生諸島に一日9本の船が通っています。
そのうち最大の鹿久居島と最大人口の頭島は、今年になってから本土と橋で結ばれるようになりました。
…となると、船で行く必然性があるのは、我らが目指す大多府島と、もうひとつの有人島である鴻島だけです。
この諸島格差は、これから深刻になってゆくかもしれません。
大多府島は橋を架けるにはちょっと距離があるし、十年前には140人ほどあった人口も、今や80人ほどだそうですから…。

さて、京都の朝一地下鉄から普通列車を乗り継いで、二人が日生駅に着いたのは9時半近く。



まずは朝からやっているという、日生漁協の魚市場へ、食材の調達に向かいます。
人口80人の島に食堂の類なんかありませんからね。
でっかい牡蠣がごろごろ敷き詰めてあるカキメシ弁当に、巨大な鯛竹輪五本入り千円も、奮発して買ってしまいました。
実は我がパートナーは、竹輪が大好物なのです。


(この船は大型船。客が少ないこの日は、ずっと小さい船でした。)

船着場に戻って待つことしばし…。
次の船は10時半発。
僕ら以外のお客は、郵便配達の兄ちゃんと、数人のおっちゃんおばちゃんだけでした。
メインの島に橋が架かっては、船便も減ってゆく運命かもしれませんね。



実際、寄るはずだった鹿久居島は降船客が無いので、沖合を素通り。
頭島で数人降ろして、終点の大多府島まで行くのは、僕ら二人と郵便配達の兄ちゃんと、あと一人だけでした。



小さな桟橋に船が着いたのは11時頃。
大多府の集落は桟橋周辺にかたまっているんですが、人影をあまり見かけません。
たまに御老人が家から出て来たのを見かけたりすると、思わずあいさつしてしまいます。
なにせ全部で80人ですからねえ。
当然みんな顔見知りなんでしょう。



廃屋らしきものが目立つのも気になりました。
クリスマスの飾りなんて、どこにも見かけません。
(~てゆうか、僕らも忘れてました…)

朝食が早かった僕らは、まずは近くの堤防に腰かけて、さっそくお昼。
牡蠣ごろごろのお弁当には大満足。
そういえばさっき船窓から、頭島あたりの海に牡蠣の養殖いかだらしきものを、幾つも見かけましたねえ。
なんか今年一年に食べた牡蠣の総数よりも、いっぺんにたくさん食べたような気がします。
さあお腹が満たされたところで、細長くて小さな島を一周してみることにしましょうか。
いちおう「自然探索路」なる遊歩道が付いているのです。



まずは村はずれにひっそりたたずむ神社。
陶器の狛犬と並んで、漢服の像は孔子でしょうか~。
むかし江戸時代に瀬戸内航路の要衝として栄えたという大多府島。



その山上には、かつての石垣の上に、大きな灯篭堂も再建されていました。
当時は灯台の役割をしていたのでしょう。
東西に細長い大多府島は、日生や鹿久居島に面する北側には、穏やかな砂浜も点在しています。



けれど遥かに小豆島を臨む南海岸は、ほとんど岩場ばかり。
沖合を夜間に通る船に、灯篭堂は貴重な存在だったのでしょう。

その岩場にのんびり腰を降ろし、みかんでも剥きながら瀬戸内海を眺めている、豊かな時間………。
そうそう、さっき魚市場で買った鯛竹輪も、こんな場所で食べてみましょう。



この季節にしては暖かい陽射しに、眠気さえ誘われます。
わざわざクリスマスの日に、こんな辺鄙な所までやって来る人間はいない…と思ってたら、磯釣りに来てるらしい夫婦を発見。
半日滞在してたなかで、他所者らしき人を見かけたのは、この時だけでした。

大多府島で灯篭堂と並ぶ名所は、勘三郎なる人物がかつて岡山藩の偽藩札を作っていたという話が伝わる勘三郎洞窟。
高い岩壁を下って行った海端にあります。
事前には「落石危険につき立入禁止」という情報もあったんですが、実際に行ってみると「異常気象の時は通行禁止」の表示があるのみ。



まあ確かに洞窟の入口に続く遊歩道は、高波が来たらさらわれかねないような細道。
頭上には断崖もせり出してますが、落石については自己責任~ということでしょうか~?


今は奥が埋もれているという洞窟…というより岩の切れ目は、たしかに誰にも気づかれないような空間でしたねえ。

島の西部ではお寺もありました。
ちゃんと住職も居るようで、境内脇の家からお嫁さんとお母さんが散歩に出かけるとこでした。
これでこの日に会った島民は、まだ片手で数えられる範囲だったと思います。


ユニークなのは、この不思議な塔。
仏塔らしくないフォルムに、ステンドグラスさえはめ込まれています。
そういえば観音様は魚を提げていました。

最後に集落をもう少し探索。車が通れるような道は一応一本だけ伸びてますが、実際には一台も見かけませんでした。見晴らしの良い場所に建つ小学校は、何年か前に廃校になってしまったようで、草ぼうぼうになってました。
もうこの島では、若い世代は育たないのでしょうか…。

山の上にはもう一つ、目立つ白い建物がありました。
新しく民宿が出来たのに、今は廃業してしまった~と、犬を散歩させてた若い女性が教えてくれました。


今やこの島の宿泊施設は、民家を改造した無人施設一軒のみ。
食事は持ち込み自炊だそうです。
それはそれで、面白いかもしれないけれど…。

まあ正直なところ、大多府島の未来は、このままだとかなり暗い気がします。
橋が本土と繋がって湧く、向かいの頭島とは、対照的な未来…。

5時過ぎに出て日生へ戻る船に乗る客も、ほんの数人。
午前と同じワンマン運転手さんは、ちょっとキムジョンウンぽい髪型。
もちろん僕らの顔を覚えていて、「ずっと島に居たんですか~」と驚いてました。
船が日生に向かううちに空はすっかり暗くなり、出て来たばかりの満月が、瀬戸内の海を照らしていました。

さあ、夕食は日生の町でカキオコだ~!
これまたお好み焼きの上にどっさり牡蠣が並べられ、どうやら二年分の牡蠣を一日で食べてしまったようです。
帰りは播州赤穂で乗り換えた新快速で、京都に一直線。
歩き疲れて熟睡するパートナーの隣で、僕は明日の仕事の準備です。
忘れてはいけません。
今は受験シーズン直前でもあるのです。
時代に取り残されてゆきそうな島から、また明日への希望を失わない若者たちのなかへ…。
ミニトリップからの切り替えタイムです。
日本史の入試問題には、まず出て来ない大多府島。
あそこで生きてる人たちを視野に入れた語りを、僕は出来ているだろうか…。