NHKバタフライエフェクト「中国 女たちの愛と野望」を見た。

 

女性の視点で中国近代史が語られていた。

 

◯宗家三姉妹

次女慶齢は、最後の皇帝国家 清国を倒し、民主主義を実現した孫文の妻となる。
孫文の死後、孫文の後継者となった蒋介石は、孫文が進めた国共合作を破棄し、共産党を弾圧。
裏切られた孫文妻 次女慶齢は、蒋介石を非難。敵対する。


しかしながら三女 美齢は、長女靄齢の計らいで、権力者となった蒋介石に嫁ぐこととなる。
靄齢、美齢は国民党、慶齢は共産党支持となる。


英語堪能の美齢は、日中戦争の解決のためアメリカ参戦を促すため、アメリカ説得に行脚するとともに、ポツダム宣言の蒋介石の通訳としても立ち会う。
 

二次大戦後、再度国共戦争が勃発。共産党は勝利し、蒋介石は台湾へ。
 

○文革と江青
共産党が国家を統一したものの、毛沢東の失策により劉少奇に国家主席の権力を譲ることとなる。

この毛沢東復権のため、立ち上がったのが妻 江青。

打倒資本主義化を謳い、清華大学などの学生を動かし、紅衛兵となり劉少奇を退陣に追い込んだ。

 

 

 

この知識層の弾圧を始めた毛沢東に対して、共産党支持の次女慶齢も距離を置き始める。
毛沢東死後、権力を引き継ごうとした江青はじめ4人組の行き過ぎに、鄧小平はじめ共産党幹部は、4人組を突然逮捕。江青は死刑となる。


その後鄧小平が国家主席となり、慶齢は名誉回復し、死直前に名誉主席を与えられる。


蒋介石の死後アメリカに移住した三女美齢は、海外留学者を支援する活動を行った。その支援者の中に、現在の台湾主席 蔡英文がいた。

 

文革終了は1977年。わずか45年前である。

 

中国本土も民主主義(国民党)資本主義と共産主義、を揺らぎながら、国家のカタチを形成してきたことが読み取れる。

 

中国と台湾に、今後も関心を持ちづづけたい。