加えて、チームのジェネラルマネージャージェリー-クラウス個人との確執が事態をさらに悪化させた。クラウスは年俸に関しては常に渋く、交渉の場ではしばしば選手を傷つける発言をした。またクラウスは好んでチームの遠征に同行し、それが選手との関係をさらに複雑にした。ある遠征の時、スコッティは選手たちのいる前で公然とクラウスを罵ったことがあり、それがマスコミに報じられる事態も起きた。スコッティはこのシーズンの最中、公にトレードを要求したこともあった。
翌1997-98シーズンはフィル-ジャクソン監督の引退の可能性が語られ、またピッペンの去就もしばしば話題になった。ジョーダンは「ジャクソンとピッペンが残れば自分も残る」と語り、強豪ブルズ最後のシーズンになるかどうかがファンやマスコミの関心事だった。このシーズンはブルズ2度目の「スリーピート」つまり6回目の優勝がかかっていた。
結局、開幕前にピッペンのトレードは行われず、優勝メンバーはそのままのチームで6度目の優勝を狙うことになったブルズだったが、昨シーズンのプレイオフ、マイアミ-ヒート戦で痛めていたピッペンの足首は回復せず、迷い続けた末に手術を受けることになった。開幕近くなってかbeats ヘッドホン -ナイキ レブロン13 の時期の手術だったためピッペンは約3ヶ月近く出場できなくなり、彼は長年自分に対してひどい扱いを続けていたチーム首脳に当てつけるためにこのような行為を行ったのではないかという憶測もささやかれた。万能選手だったピッペンを欠いたブルズは開幕直後は大苦戦に陥り、一時はプレイオフの出場さえ危ぶまれるほどとなり、ピッペンの存在の大きさは改めて証明された。しかし、残りのメンバーたちは徐々に連携を取り戻し、献身的なプレーでチームを支えるようになり、オールスター戦の頃にはついにブルズは東地区の首位に立つ。コートサイドでスーツ姿で試合を観戦し続けていたピッペンもチームメイトの奮闘ぶりに次第に笑顔で声援を贈るようになり、周囲とのわだかまりも少しずつ消えていった。そして2月の試合でついにコートに復活したピッペンには観客から大声援が贈られ、ブルズは完全に勢いを取り戻した。このシーズンのブルズは結局62勝20敗でリーグ1位タイ。プレイオフでブルズはラリー-バードがヘッドコーチをつとめていたインディアナ-ペイサーズに最終戦まで粘られるなど苦しみながらもNBAファイナルに進出し、再びユタ-ジャズと対戦。昨年と違ってホームコートアドバンテージのないシリーズで、休養十分なジャズに対して連戦続きのブルズは今度こそ勝てないのでは- と不安視されていた。しかし、初戦は敗れたものの、その後の3試合でピッペンが見事なディフェンスをみせ、何度も相手選手からオフェンス-ファウルを誘って攻撃のリズムを崩し、ブルズは3連勝。一気に優勝決定かと思われた第5戦だったがジョーダンとピッペンが共にシュートが不調でブルズは敗れ、再び敵地ソルトレークシティに舞台を移すことになった。第6戦、試合序盤にダンクシュートを決めたピッペンだったが、そのとき、それまでの試合で激しいディフェンスを続けて痛めていた腰痛が再発。激痛でまともにプレイできなくなったピッペンがロッカールームに下がってしまうとジャズは猛攻を開始。常にリードされ続けるブルズはジョーダンがこの試合45得点の活躍で何とか離されずに付いていく展開となる。しかし、ピッペンはロッカールームで腰に消炎剤を塗り、激痛に耐えながらコートに戻って必死のプレーを見せる。試合の終盤、残り数秒でジョーダンがロッドマンのマークに気を取られた相手エースのカール-マローンからボールをスティール、そして次のプレーでシュートを決め、ブルズは敵地でジャズを1点差で逆転勝ち。苦しみ続けて最後の優勝を手にしたピッペンは感激に涙を流し続けていた。