怪我の完治後はフットサルなどをプレーしていたが、[要検証 – ノート]清水エスパルスからオファーが届き、2005年8月に途中加入し、14試合9ゴールの成績を挙げてJ1残留に貢献した。
2007年から2010年まで鹿島アントラーズでプレーした。2008年は、来日8年目にして初の得点王に輝き、リーグ連覇を経験した。リーグ戦以外でも、3月12日のACLのクルン-タイ-バンク戦では来日初のハッジョーダンスニーカー トリックを達成。8月6日のナビスコカップ-清水エスパルス戦では来日公式戦100得点目を達成した。
2010年は3月6日のリーグ開幕戦浦和戦で、来日通算10シーズン連続得点を達成したほか、4月24日の横浜FMとのリーグ戦で、史上5人目のJ1通算100得点を達成[3]。9月18日の大宮とのリーグ戦では、自身のリーグ初ハットトリックを達成した。チームの若返り方針に伴いこの年限りで退団。
2011年、ベガルタ仙台に完全移籍したが、4月9日、東日本大震災の影響による精神的ショックを理由に退団[4][5]。ブラジルのアトレチコ-ミネイロに移籍した。
2012年、横浜F-マリノスに移籍。3月23日には第1子となる長男が誕生した。開幕前に腰痛で離脱したこともあり、GWまでリーグ戦では出場機会がなかったが、5月3日の浦和レッズ戦で後半27分より途中出場し、後半43分に決勝ゴールを挙げた。11月7日のヴィッセル神戸戦でシーズン二桁ゴールを達成。