金メダルを手土産にボストンにやってきたラッセルは、1956-57シーズンの途中から試合に参加し、1956年12月22日にNBA公式戦デビューを迎えた。対戦相手は皮肉にもラッセルをセルティックスに入団させたセントルイス-ホークスだった。アワーバックHCはラッセルに対し、当時リーグ最高峰のスコアラーだったホークスのエース、ボブ-ペティットをマークするよう命じた。そしてルーキーはこの日のプレイで彼のマン-ツー-マン-ディフェンスとブロックショットのレベルの高さを、ボストン市民に認識させた。
Hey, Bill![編集]
ラッセルが加入した当時のセルティックスはリーグ1位の得点力を持つ代わりに、ディフェンスは失点でリーグワースト1位と、オフェンスのみに重点を置いた極端な戦力バランスとなっていた。セルティックスが優勝するにはこの戦力の不均衡を是正する必要があったが、そんな時に現れたラッセルは正コービー9 チームに劇的な変革をもたらす改革者だった。
アワーバックはチームの戦術に変更を加え、チームに攻撃的なディフェンスを仕掛けさせ、相手チームにターンオーバーを強いることで、セルティックスが最も得意としたオフェンスパターンである速攻を、より容易に出させようとした。攻撃的なディフェンスはかえってディフェンスに隙を生じさせ、相手のドライブを容易にしてしまう可能性があるが、アワーバックとセルティックスの選手たちはペリメーターのディフェンスラインを突破されようとも、慌てる必要はなかった。何故なら彼らが突破した先には、ビル-ラッセルが待ち構えているからである。ラッセルは言わばヘルプ-ディフェンスのエリートだった。その長身には似つかわしくない俊敏性を誇るラッセルは、チームのディフェンスに隙間が生じればすぐさまカバーに行き、味方が不利と悟れば援助に走ってダブルチームに付き、たとえディフェンスラインを突破されても、ラッセルの最大の武器であるブロックショットで敵のシュートを次々と叩き落した。ラッセルが後ろに控えているという事は、チームメイトのディフェンスをよりアグレッシブにさせた。たとえ抜かれても、ラッセルが止めてくれるという信頼があったからである。そしてよりアグレッシブになればよりターンオーバーを引き出すことができ、より簡単に速攻を出すことができる。もしシュートを打たれても、外れたらそのリバウンドは必ずラッセルが拾う。彼が拾えば、即ちそれは速攻のチャンスとなる。後に無敵を誇ることになるセルティックスの攻防一体の戦術は、全てがラッセルを基盤としていた。このセルティックスの戦術は、『Hey, Bill!』と呼ばれた。ディフェンスにおいてチームメイトがラッセルの助けを必要とした時、ラッセルをこう呼ぶことから名づけられた。またラッセルのブロックショットはスポーツブランドのウィルソンが「敵シューターの顔面に押し込むようだ」と評したことから、『ウィルソンバーガー』と呼ばれた。