兵馬俑3次調査、鮮やかな彩色を再現


 兵馬俑坑は、紀元前221年に中国を統一した秦の始皇帝の陵墓周辺にある。兵士や馬などをかたどった陶製像(俑)が大量に出土しており、陵墓を守るために埋葬された兵士軍団と考えられている。兵馬俑坑は1974年の発見以来、発掘が断続的に続けられてきた。2009年に始まった第3次調査では、等身大の兵士像百体あまりが新たに発掘されたほか、陶製の馬、戦車、武器、太鼓などが確認された。また、実際の兵士が使っていたと見られる革製の盾も初めて出土した。


音史のブログ-兵馬俑2
中国、陝西省西安郊外で出土した兵馬俑(へいばよう)。
考古学者チームが細心の注意を払って付着した土を取り除いている(2012年6月撮影)。

Photograph by Ruan Banhui, Imaginechina/AP



 兵馬俑は、秦の始皇帝が敵対する隣国を次々と征服し中国統一を果たした際の主力軍を模したと言われている。古代中国では、死後も生前と同様の生活が続くと考えられていた。アメリカ、スタンフォード大学のアルバート・E・ディエン(Albert E. Dien)氏によると、始皇帝は死後の世界でも皇帝に君臨し続けることができるよう、兵馬俑を陵墓周辺に副葬させたという。

 始皇帝が埋葬された当時、これらの俑には見事な彩色が施されていた。鮮やかな塗料がかなり残っている俑も発見され、考古学者らを驚かせたという。

 以前に発掘された兵馬俑は、顔料が酸化して色がほとんど失われてしまった。しかし、中国とドイツの専門家チームが退色を防ぐ薬剤の開発に成功し、今回の像は鮮やかな色彩を保てるという。

 米ナショナル ジオグラフィック誌では、出土した兵士像の姿勢、残存する塗料、銅製の武器など、さまざまな手掛かりを基に、埋葬当時の兵馬俑(へいばよう)1号坑をCGで再現し、画像を公開している。

 また今回の調査で、坑内に焼けた跡や木の灰が大量に見つかり、楚の項籍(項羽)が焼き打ちした跡ではないかとする見方を専門家は示している。漢書には、項籍が始皇帝陵を破壊したとの記載がある。秦に滅ぼされた楚の武将であった項籍は、始皇帝死後の秦末期に挙兵して秦を滅ぼし、首都の咸陽を破壊した。兵馬俑坑は咸陽の郊外、今の西安市にある(西安は、項籍を倒した劉邦が開いた漢王朝の都、長安の現在の名である)。

 陵墓の建設は、始皇帝が秦の王位に就いた紀元前246年に始まったとされ、完成に30年を要し、動員された労働者は70万人と推定されている。




<ナショナルジオグラフィック 記事より>