「人類は本質的に攻撃的で争いを好む生き物である」はあやまり。(オランダ学者研究)



音史のブログ-争い0


生物学の世界では、これまで人類を「競争好き、攻撃的、野蛮」とする見方が主流であったが、これが誤りであることが証明されつつある――。カナダ・バンクーバーで開催中の米国科学振興協会のカンファレンスで20日、霊長類行動学の第一人者がこのような研究発表を行った。

 米エモリー大のオランダ人生物学者で著書『The Age of Empathy: Nature's Lessons for a Kinder Society(共感の時代:親切な社会に向けた人間性のレッスン)』でもおなじみのフラン・デ・ワール)氏は、「人類は社会的な性質を多数持っている」と述べた。霊長類やゾウなどの高等動物からネズミまで、様々な動物を対象にした最新の研究では、協力行動などの行動には生物学的基盤があることが示されているという。

 同氏によれば、わずか12年前まで、科学者らの共通認識はこうだった――「人間性の中核を成す性質は『意地悪』だが、この上に薄っぺらではあるものの、道徳性を身につけた」。

16世紀初頭 bad war
音史のブログ-争い1

しかし、人間(および高等動物)は、繁殖して遺伝子を継承していく上で協力し合う必要があるため、科学的な意味で「道徳的」だとデ・ワール氏は主張。19世紀に英国の生物学者トマス・ヘンリー・ハクスリーが提唱して広まった、「道徳とは人類が勝手に創り出したもの。自然界には存在しない」とする説は誤りだとの研究結果を発表した。

 デ・ワール氏は会場で、研究室で撮影されたビデオを放映した。その中には、ほかのサルがもらったほうびを自分がもらえなかった場合にサルが示す精神的苦痛や、チョコレートというごちそうを前にしても、わなにかかったネズミの救助を優先するというネズミの行動などが示されている。


デ・ワール氏が「生物には根本的に道徳心が備わっている」という研究結果を報告するカンファレンス映像
TEDxPeachtree - Frans de Waal - Morality without Religion


  同氏は、これらのシーンは、動物が生まれながらに「互恵、公平、共感、慰め」に関して社会的な性質を持っていることを示していると説明し、「共感のない人間の道徳はあり得ない」と付け加えた。

 もし大衆が共感を当たり前のものだと認識するようになれば、資本主義の政治・経済システムが立脚する熾烈(しれつ)な競争社会を変えるだろうかとの質問には、「私は単なるサルの観察者ですから」と笑って答えた。

 一方で同氏は、研究では動物の共感が「仲間内」だけに向けられることが明らかになっていると述べ、こう続けた。「人間の『道徳』は小さなコミュニティーの中で発展した。世界がグローバル化するなか、人類が(仲間内だけに意図された)システムを全世界にも適用させることは1つのチャレンジであり、実験的な試みだ」


音史のブログ-争い2

これまでも「性善説」、「性悪説」など、人類の心の根底にあるものは何なのか?に関して様々な学説が論じられてきたわけだが、根本的に「善」であろうと、「悪」であろうと、結局人間は「善」と「悪」の両方を行いうる生き物なわけで、例えどんなに豊かな道徳心やいたわりの心を根本的に持っていても、それが「敵」と認識されたものに対しては発動されないどころか「攻撃対象」となってしまうことが往々にしてあるもの。

 情報化社会となり様々な情報を大量かつ迅速に入手できるようになり人々の視野は広がった。様々なものの見方ができるようになったはずなのに、逆に人々は「想像力」を失いつつあるように感じる。ここで言う想像力とは「他人の気持ちを推し量る、もし自分が同じ立場だったらどうなのか?」という相手を思いやる、相手の気持ちになって考えることができる「想像力」だ。

 そういった「想像力」があれば、もしくは人類皆仲間であるという認識があれば、小さな論争から大きな戦争まで、いたるところに存在する「争い」は避けられるような気もするのだがどうだろう?


せいぜん-せつ 【性善説】
人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており、 悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるとする説。正統的儒学の人間観。孟子の首唱。
せいあく-せつ 【性悪説】
人間の本性を利己的欲望とみて、善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。孟子の性善説に対立して荀子が首唱。







<カラパイア 記事より>