今、いろいろ問題となっている「ゆとり教育世代」。

ゆとり教育を卒業した人、今そのゆとり教育中の人達、

そして、その周りでその人たちを教えようと頑張っている企業の方々、そして

教育現場の方々、そして「ゆとり教育」に不安のあるご父兄の方々。


2009年の資料ではありますが、この「ゆとり教育世代」について書かれた

雑誌がありましたので、参考になればと掲載させていただきます。


モンスター社員続出で右往左往する現場

「自己チュークラゲ」ゆとり世代を戦力化するコツ     2009年10月24日


昨年4月、保険会社で研修の仕事に携わり始めて5年目の遠藤美子さん(仮名)は、毎年恒例の新入社員の合宿研修を主催者として仕切っていた。いよいよ明日は3泊4日の最終日。新人のお尻を叩きながら、過密なカリキュラムをなんとかこなしてきたこともあって、「これで無事終わりそうだわ」と遠藤さんは一人満足感にひたっていた。しかし、新人男性の発した次の一言で、そのささやかな安らぎは脆くも打ち砕かれてしまう。

「今晩、大学時代の親友のライブがあるので行っていいですか。終電までには必ず戻ってきます。夕方6時以降は講義が組まれていませんよね。僕一人くらい外出したって誰にも迷惑をかけるわけじゃないし、構いませんよね」

遠藤さんは耳を疑った。これまで合宿研修の期間中に私用で外出を希望する人間は一人もいなかった。夜の自由時間は、昼間の研修内容を復習したり、同期とディスカッションするのが当然だと思っていた。たった一人のわがままでもそれを許せば、合宿を通して培ってきた「みんなで一緒に頑張ろう」という気持ちが崩れかねない。遠藤さんは合宿の意味から説き始め、なんとか思いとどまらせた。

「どうも最近の新人はいままでとは違うようだ」。そんな声が人事担当者を中心にあがっている。「近頃の若者は……」と紀元前の古代エジプトの時代からいわれ続け、そんなステレオタイプの若者批判論をいさめた「いまどきの若い者はとはばかるべきことは申すまじく候」という山本五十六の言葉も残っている。それにしても、企業の現場では首をかしげたくなるケースが続出しているようなのだ。

不動産会社の人事部に勤務する武田純平さん(仮名)は、「どんな教育をしてから配属しているんだ。それより、どういった基準で新卒を採用しているんだ」という営業課長からのクレームの電話を受けた。その怒声のすさまじさに受話器を耳から遠ざけてしまうほどであった。

よく聞くと問題の新入社員はマンションのテレホンセールスを行っていたという。そして、アフターサービスをお客に説明する際に「万が一、うちのマンションを買ってもらえたら」と話したそうなのだ。「まずありえないだろう」というニュアンスを持つ「万が一」をお客に対していうのは御法度。「そんな常識的なこともわからないのか」と課長が注意すると、悪びれた表情も見せずに「スンマセン」と答えたというから、そこで課長の怒りはさらに燃え上がった。

一番の問題は相手がお客さまという意識が欠落していること。でも、それは相手が職場の上司や先輩の場合でも同じ。だから、友だち言葉で返答してしまうのだ。上司への業務報告を絵文字入りの電子メールで送ってくるのも、もはや珍しいことではなくなっている。

商社で働く小林百合子さん(仮名)は、入社1年目の男性の後輩に「明日中にこのレポートをまとめて、メールで私のところに送っておいてね。次の日のお昼の会議の資料として使うから」と頼んだ。「わかりました」と元気のいい答えが返ってきたので、小林さんは安心して任せていた。

しかし、翌日の夕方になってもレポートのメールは入ってこない。本人のデスクに目を向けると、資料をかたわらに置いて一生懸命にキーボードを打っている。「新人とはいえ、半日もあれば十分に終わる仕事なのに」。取引先との会食の約束の時間が迫ってくるのにつれて、小林さんの不満は募っていった。結局、タイムアウトとなり、仕方なく小林さんは職場を飛び出した。

翌朝、メールチェックをした小林さんは驚いた。確かにレポートのメールは入っていた。しかし、その時刻は何と「23時59分」。新人君を呼び出して「ちょっと遅いんじゃないの。もう少し早くから取りかかれば、夕方には十分できたでしょう」と小言をいうと、「でも指示のあった昨日中には送ったはずです」と答える始末。当人は涼しい顔だ。自分の行為が相手にどのような影響を及ぼすかまで、どうやらこの新人君は頭が働かないようである。

そんなトラブルを数え出したら切りがない。「フロントの仕事をしたい」とホテルを志望してきた新卒が入社直前の研修に金髪姿で現れ、「本当に接客業務に就かせていいのか」と採用担当者が頭を抱えたり、コンサルティング会社に入社しながら「やっぱり消防士になりたかった」といって、入社1カ月もしないうちに退職したり……。毎日どこかの職場で上司や先輩社員の悲鳴があがっている。


ゆとり教育が及ぼす経済力衰退の影響      2009年10月25日



音史のブログ-ゆとり教育1

ことほどさようにトラブルメーカーの新入社員が増えた背景には一体何があるのだろう。その答えの一つとして関係者が口を揃えて指摘するのが、学校で本格的なゆとり教育を受けてきた「ゆとり世代」が社会に出始めてきたことである。

ゆとり教育は、1970年代に落ちこぼれや非行で教育現場が荒廃し、その原因が詰め込み教育にあったとの反省から、学習内容を減らした教育のこと。77年の学習指導要領の改訂を受けて、80年度から「ゆとりと充実」「ゆとりと潤い」を重視する教育が始まった。学習指導要領は学校がカリキュラムを編成する際の基準で、全国どこでも一定の水準の教育が受けられるように文部科学省が告示する。法的拘束力もある。

それに続く89年の改訂では子どものヤル気や関心を重視した「新しい教育観」が導入され、個性を生かした教育の充実が92年度から実施される。この時点で教師は「教える」立場から、「育む」「支える」立場へ変わったといわれる。そして、ゆとり教育をさらに推し進め、現在関係者の間で問題視されているのが98年の改訂である。

そこでまず打ち出されたものが、完全週休5日制への移行だ。これによって年間の登校日は約200日へ激減した。さらに輪をかけるかのように「総合学習」の時間が新設されたことで、国語、算数、理科などの基礎科目の授業時間が大幅に削られた。それにともなって学習内容はさらに薄くなり、たとえば70年代に約60あった中学校の理科で習う化学式の数は10未満になってしまったという。

この新学習指導要領が実施された2002年度が、本格的なゆとり教育のスタートとされる。08年4月に大卒で入社した社員は、その本格的なゆとり教育を高校時代に受けた“ゆとり第一世代”なのだ。さらに今後は中学校、小学校で洗礼を受けた世代が続々と社会に出てくる。そこで「学力が低いうえに、社会的な訓練もできていない人材が増えるのではないか」と懸念されているわけである。

そうした影響をマクロ経済の観点から憂慮しているのが第一生命経済研究所の永濱利廣主席エコノミストだ。ゆとり教育で成績が落ちたと指摘されるOECD(経済協力開発機構)の「生徒の学習到達度調査(PISA)」と一人当たりGDP(国内総生産)の関係を分析した結果、永濱氏は「両者の間には明らかに相関関係がある」と指摘する。

永濱氏が分析に用いた06年のPISAにおける日本の「科学的リテラシー」の得点は00年時点よりも19点ダウン。「読解力」では24点、また「数学的リテラシー」だと34点も下がっている。そうした学力の低下は、今後の日本の経済力の衰退を暗示する。

そして永濱氏は「日本経済の復活には、技術的なブレークスルーが求められている。それには国全体の学力をアップしないといけない。時間がかかるだけに早く対応したほうがいい」と警鐘を鳴らす。その点において図1に見るように、日本の公財政教育支出の対GDP比がOECD加盟28カ国のなかで最低であることは気がかりだ。

実際に大学の教育現場からも将来を危惧する声があがっている。自動車の駆動装置からカーナビ、携帯電話まであらゆるハイテク製品で活用されるようになった組み込みシステム。その出来不出来で性能が大きく変わってくる。システムの理論やプログラムの技術を教えている私大工学部の准教授は次のように嘆く。

「教師にサポートされることが当然と思っているのか、受け身の姿勢が強い。実習も教官が具体的に指示しないと準備すらしない。読解力も極端に弱く、『三角形の面積を求めるプログラムをつくれ』という試験を出したら、『どういうことかわからない』といってきた学生がいる。読めないのか、読む気がないのか、理解できない。『あまりにも稚拙だ』というと、『稚拙って何ですか』と聞き返してきた」

ゆとり教育が及ぼした学習姿勢に対する弊害として、よく指摘されているのがこのコメントにもある「受動的になった」ということだ。練習問題の解答の正否を自分で検証しようとはせず、安易に教師に正解を求めてしまう。知的欲求の低下も著しく、事典や辞書を自分で開いたりはせず、インターネットで自分の欲しい情報にアクセスすることで済ませてしまう。労力を惜しみ、効率性のみ追求する傾向も強くなっているようなのだ。

「本来、教育には学力形成と人間・人格形成という2つの機能がある。しかし、ゆとり教育の導入と『いま楽しければいい』という社会的な風潮の高まりによって、何かに一生懸命取り組んで自分を高めていこうとする克己心や忍耐力などの低下に拍車がかかった」と、教育現場の問題に詳しい国際基督教大学大学院教育学研究科の藤田英典教授は語る。



<プレジデントロイター記事より>




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