1941年12月8日、日本は、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃しました。
それが、太平洋戦争の始まり。
アメリカは、日本の無線を傍受してたのにもかかわらず、
何の策も取らずに、日本の奇襲を受け入れた。
世界大戦に打って出たかったアメリカの策略。日本の奇襲を原因として・・・。
最近、いろいろな説が出てきました。
しかし、アメリカ人の気持ちを奮起させたのは、
「Remember Pearl Harbor!」 (真珠湾攻撃を忘れるな!) でした。
話は変わって、カナダのケベック州。
1608年にサミュエル・ド・シャンプランによって創設され、ヌーヴェル・フランス
植民地の首府となりましたが、七年戦争では英軍の攻撃を受け、1759年
市郊外のアブラハム平原で英仏両軍が激突、仏軍が大敗しましあた。
パリ条約でイギリス領となり、1867年カナダ自治領が成立しオタワに首府が
移転するまで英領カナダの首府でもあったところ。
このケベック州の自動車のナンバープレートには、
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すべて、「Je me souviens」 (私は 忘れない!) って書かれています。
このモットーは元々1883年ケベック市議会ビル正面の紋章に彫られたのが
最初のようですが、製作したフランス系カナダ人の建築家は意味について
はっきりした説明を残していないようです。
このためカナダでも長く議論の対象になっています。
有力説としてフランスとイギリスの花言葉に由来する「百合の下に生まれ、
薔薇の下に育ったことを(私は忘れない)」というのがあるようですが、
これはケベック市300周年に同じ建築家がデザインした記念コインに市の
創始者を称える言葉として同じ表現が使われているからです。
ただ、もっと単純明快に「フランスの歴史と遺産」とか「イギリスがフランスに
したこと」と信じている人も多いようです。
「私は忘れない!」・・・・・そう思った2つのエピソード!
本当に、素晴らしい思い出を私達は、忘れたくないものです。