たまに「薬に頼るな」「病気は思い込み」「自分で病気を作っているだけ」など言われることがあります。

もしかしたらそれも一理あるかもしれない。
しかし自分が一般人と何ら変わりなく普通に生活できる人間だと思い込めば思い込むほど
違和感を感じる。ついには苦しくなって悩む渦の中へ・・・。

要は人は言いたいことを言うし、でも私は私なのだ。

言いたいことを言っている間は優越感にひたったり気持ちよかったりするのかもしれない。
でも人間は皆完璧じゃないし弱いところや欠点があるから
うまく付き合っていかなければならない。
なので、病気を「気の持ち様だ」など言われたときはスルーするように気をつける。

自分は何ともない人間だから薬を飲む必要もないんだ!!と意気込むと後で病気の症状が出たり大変なことになる。
しかも「病気は気の持ち様」と言った本人はそこで助けてくれはしない。
その人物がどのような人物であっても。

なのでスルーする。
どしっと心にのしかかってくるものがあるけれど
言った人と自分とは別の生き物なのだと思うしかない。

症状が出ると言われた言葉が今現在ずっと言われているかのような精神状態になる。
もう、祈るというか「嫌だからこの状態から脱出したい」と強く念じるしかなくなる。
(私は脱出しようとする気持ちは結構大事だと思っている)

落ち着いたら
絶対に時間と共に自分の状態は少しずつ良くなっていくと信じることに時間を注ぐ

「言い訳しないでやれ」
「そんなの言い訳だ」
「病気は言い訳にしかならない」

社会復帰するなかで、私がひっかかる言葉のうちの一つです。

言い訳なんかしたくない。
そんなの当たり前だ。

でももしも「症状が出るかもしれないけれど、そんなの関係ないや!」と行動するのも考えものです。
だって、人に迷惑をかけることだってあるし勿論自分も苦しくなるから。苦しくなって酷い時は命にかかわることもあるかもしれない。

足踏み状態は好きじゃないけれどどうにもできない。

そんな時だってある。


世阿弥の残した書物には「男どき(おどき)」と「女どき(めどき)」がある、と書かれている。
「男どき」とは幸運に恵まれ、物事がスムーズに、何でもうまく行くとき。
「女どき」とは思うように物事が運ばないとき。
世阿弥がの言葉では誰の人生にでもこの「男どき」と「女どき」があるそうな。

病気持ちは確かに辛いけれど、そんな時は「女どき」だと思って好きなことややりたいこと、やってみたいことへの準備期間だと思っています

病気持ちだけど、こんなに頑張ってるんだ
「そんなこと言ったって世間的には言い訳だ」
と言われることだってある。
でも私は言い訳でも良いと思っている。
自分の出来る限りのことを精一杯、やっているから。

自分の出来る限りのことは個人個人違うけれど
私はその人なりに頑張れていることがあればそれで良いと思うし
尊敬するに値する行動だと思っています。

自分で「あ、これ言い訳だな」って思うときは気をつけなくては。と思うけれど
元々病気になる人って真面目な人が多いんです。
自分でも反省して人に言われる度に反省して落ち込んでたら
持つものも持たなくなります。

「女どき」に精一杯頑張ってるってステキなことだと思います。


今日はするつもりのなかった昼寝を2時間もしてしまった。

潔癖な私はこんな時自分を責めやすい。

でも、ちゃんと家事もしたし勉強もしたし「まあいいや。」なのです。

病気のある・なしに関わらず、現代の人たちは
もっともっと自分に対して労りというか「お疲れさま」や出来たことに対して褒めることが必要だと思う。
「出来るのが当たり前。故障した時は故障したとき。」では機械と何ら変わりありません。
そんな機械だってたまにメンテナンスが必要です。

人間は生き物なのだし、頭脳や心を持った動物。
そして褒めたり自分にご褒美をあげられるのも自分しかいない。
他人様にゆだねるわけにはいかない。
他人は他人で自分じゃないんだからコントロールできない。
遠隔操作して「私を褒めろ。労れ」なんて指令は出せない。
だから、自分が誰よりも自分に優しくいたわってあげるべきなのではないかと思う。