皆さんこんにちは。ferix660です。
今回は、山口周著「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」で学んだことについて掲載していこうと思います。
それでは、よろしければお付き合いの程よろしくお願いいたします。
1 理性・論理的であることの限界
VUCA(「不安定」「不確実」「複雑」「曖昧」の頭文字で、昨今の政界情勢を表現する造語)において、いたずらに理性的・論理的であろうとするのは、問題解決能力や想像力の麻痺をもたらし、意思決定の膠着に繋がる。
理性・論理(サイエンス):正しさ、合理性、物事を積み上げて考え結論に至る方法
感情・直感(アート):美しさ、楽しさ、論理を飛躍して結論に至る方法(×「非論理的」○「超論理的」)
※ 筆者は何も「理性・論理を蔑ろにしろ」と主張しているのではなく、論理や理性で考えてもシロクロつかない問題については「直感」を頼りにすべきだとし、「使い分け」が大事である
なお、サイエンスとアートが対立した場合に優勢となるのは決まってサイエンスであり、理由として、アートは「良いと感じるから」くらいにしか言えないのに対し、サイエンスはアートを批判することが容易であるため。
(ちなみにアート、美意識と言っても商品のデザインや広告などの狭義ではなく、会社の運営や道徳観などの広義にも適用される)
しかしこれではアートが表現される機会が失われてしまうため、理想としては組織などの構造のトップに「アート」を置き、その両側を「サイエンス」で固めることによりバランスが取れるとしている。
稲盛和夫著「生き方」にも、まずは「楽観的」に物事を想像・創造し、「悲観的」に批判し洗練させた上で「楽観的」にローンチすることが良いとされていたのを思い出し、似たようなことを言っているな、と思いました。
2 世界の欲求の変化
世界中の市場が、一昔前までは一握りの人しかできなかった「自己実現の追求」が、今では全世界のトレンドとなっている。
マズローの5段階欲求の頂点を満たそうとする人が多い。
なお、ここで、マズローの5段階欲求などを挙げた際に「それは科学的に証明されていることではなく根拠に乏しい」とし批判する人がいるが、「真偽がはっきりしない」ということは「命題が偽である」ことを意味するものではなく、ここでも理性・論理偏重の弊害が見て取れる。
よって、求められる能力は「精緻なマーケティング、機能優位性、価格競争力」よりも「人の承認欲求や自己実現欲求を刺激する力」であり、そのために「感性」や「美意識」が重要になる。
コンサル業者などが「生産性」や「資本回転率」などの「数値」のみで「良し悪し」を指摘し脅すのは、彼らがそのような「言語」しか持たないからであり、それらを追い求めた結果「正解のコモディティ化」「差別化の消失」に繋がる。
3 Don't be evil.(Googleの社訓)
実定法主義:明文化されたルールにのみ則って善悪の判断をすることで、「真・善・美」を分離した考え方。「法律に反したことはしていない」という態度は典型的な実定法主義の立場。「悪法もまた法である」。
自然法主義:自らの倫理観・善悪感に則って判断することであり、法そのものの是非を問うもの。変革が迅速な現代では(本来はNGとされているが)遡及して過去の行いが罪に問われることがあるので、ここで「美意識」の醸成が役立つ。
「人間に美学とモラルが必要なのは、最終的に大変効率がいいから。より高いところから大局を見て一本筋が通っていると、大きな意味で効率がいい。正しいことをやる・考えることはしばしば自己犠牲を強いられたり禁欲的に何かを我慢したりとマイナスな面ばかりとらえがちだが、長期的な目で見ればずっと効率がよく、最終的に自分にプラスとなる」
(本書内で、中西輝政著「本質を見抜く『考え方』」より引用)
人がある情報に接触した際に呼び起こされる感情や身体的反応(発汗、心拍数上昇、口の渇きなど)が脳の前頭前野に影響を与え、「良し悪し」の判断を助け意思決定の効率を高める。
よって「意思決定には感情を排して理性的に行うべき」の主張は誤りであり、自身の美意識と対照して決断することが善悪の判断となるので、むしろ感情は積極的に取り入れるべきである。
勉強しかできない、「数値」のみを追い求める「エリート」が社会の不条理、不合理に打ち負かされる原因はここにあり、概して情緒や感性を育む機会も同等に必要である。
清廉潔白な事柄だけでなく、自身が何を不快に思い、何を嫌悪し、何に怒りを覚えるのかという「陰」の経験も同様に大切であり、「清濁併せ呑む」バランス感覚が人を大きく成長させる。