皆さんこんにちは。ferix660です。

 

今回は、兼好法師著「徒然草」で学んだことについて掲載していこうと思います。

 

全243段から成る項目の中から、個人的に気に入ったところの要旨を紹介したいと思います。

 

それでは、よろしければお付き合いの程よろしくお願いいたします。

 

 

 

1 第2段

 

華美なものは思慮に欠ける。「衣冠をはじめ乗馬や牛車に至るまで、ありあわせのものを使え」「天子のお召し物は粗略なものをもって最上とする」

 

2 第7段

 

霞も煙も、人生も、消えることがないとしたらどれだけ情趣が失われるだろう。かげろうのようにその日のうちに死ぬ生物もいればセミのように春も秋も知らぬ生物もいる。また、例え人間が千年生きたとしても一夜の夢のように儚い気持ちがするであろう。

 

3 第10段

 

住処など現世の仮宿であり、華美でないが古色を帯び落ち着いているのが奥ゆかしい。対して大工たちにたいそう作業させ物珍しいものを飾り庭まで人工的であるのは見苦しく不愉快である。そんなことをしてもいつまでも生きていられるわけでもなく、また不慮の火災でもあれば一瞬で煙になろうものを。住処から、そこに住む人の有り様が推量できる。

 

4 第14・22段

 

和歌であれば、卑賊な民、山の木樵(きこり)、獰猛な猪さえも興趣があり、優美なものとなる。しかし近頃の歌はいい部分もあるにはあるが、古歌のように言外にしみじみと彷彿とするものではない。昔の人が詠んだものは今のものとは同列ではなく、平明で自然で上品で、感動も深い。現代風のものはむやみに下品になっていくようで、言葉遣いであれば略してしまうのが嘆かわしい。

 

5 第59段

 

仏道に入るという決心をする人は、避け難く気に掛かる諸事があったとしても、その志を遂げずに放棄すべきである。死は迅速で避けられぬものなのだから、親、子、主君、他人など捨てられないというのか。

 

6 第72段

 

下品なものは、物にしても口数にしてもいかなることにおいても、とにかく多いこと。多くても見苦しくないものは、積み上がった書籍、ゴミ捨て場のゴミ。

 

7 第74・188・241段

 

まるで蟻のように東西南北へ走る人々の中には、貴賤も老若もある。行くところがあり、帰る家がある。夜に寝て朝に起きる。そんなに、あくせく営むのは何事か。生命に執着し利益を追求し、止まることがない。自信を養生して何を期待するのか。確実に未来に期待できるのは老いと死のみである。のんびりと構え決断するうち、目の前の要件に気を取られ、歳月を送ればどれも成就せずに年老いている。満月を注視しない人は「それほど変わらない」と油断し、病も老いにも向かっていないうちはこの世は不変で平穏な生活を続けられるものと思い込み、数多くのことを遂げるが、いざ死の淵に立った時、願いは一つも成就していないのである。願いが心に生じたならば、誤った考えにとらわれた心が迷走混乱していると自覚して、願い事は一つでも手をつけてはならない。

 

8 第77・78・79段

 

事情通で口数が多いのは感心しない。流行を知らない人は奥ゆかしく、通暁していても問われない限り何も言わないのが立派な態度である。

 

9 第84段

 

法顕三蔵がインドにわたり、中国の団扇を見て悲しみ、病の時に中国の食べ物を欲しがったのはなんとも人間味がある。

 

10 第85段

 

狂人の真似をして狂ったことをすればその人は狂人である。悪人の真似をして殺人をすればその人は悪人である。偽りであっても賢人を手本に学ぶ人を賢人という。

 

11 第123段

 

一に食べ物、二に衣服、三に住居、四に薬。これらが足りないことを貧しいとし、足りていることを富んでいるとし、他を求めることを贅沢とする。

 

12 第150段

 

技能や芸能を身につけようとする人は、「十分熟達してから人前に出よう」など考えていては一生習得することはない。未熟な頃から名人の中に入り、貶されたり笑われても悪びれず、稽古に励む人が名人に達する。

 

13 第157段

 

筆を取ると何か書きたくなり、楽器を取ると音を鳴らしたくなり、盃を取れば酒を飲みたくなり、賽を取れば博打をしたくなる。心は必ず何かに触れることを契機に起こるから、仮初にもよからぬ遊戯をしてはならない。しかし、ほんの少しでも仏典を手に取り開いた頁をなんとなく見たことからたちまち長年の過ちを改めることもあるように、もし取ることがなければこの過ちに気づくことはなく、これが機縁の利益である。

 

14 第236段

 

ある上人が、社殿の前の獅子と狛犬が他と異なる置かれ方をしているのを見て「なんと深い謂れがあるだろうか」と涙し、そこの神宮に理由を尋ねたところ「いたずら小僧の仕業です」と言って他と同じように直し、彼の感動も無駄に終わった。