飲茶の「最強!」のニーチェ 飲茶
1 神は死んだ
神…宗教、恋愛、仕事でもなんでも、人生のある時は「素晴らしい!」「これこそが人生!」と思えるような価値観があったとしても、遅かれ早かれいつかは壊れる存在
どんな神であろうと、いずれは死ぬのである。
そこで、「人生に意味がない」と虚無に陥れば、今やっていることを止める決断もせずとりあえず続ける存在、ニーチェ言うところの「末人」に成り下がる。
また、背後世界とは、現実の裏側に存在するような価値観のことである。
例えば2人の男女が恋をしているとして、「運命の恋人」や「真実の愛」などの価値観は存在するものではなく、勝手に押し付けられた考えである。
世界には一夫多妻や、非恋愛結婚社会も確かにあり、一人が一人を愛するという考え方も「正しい」わけではない。
良い鶏の条件が「たくさん卵を産むこと」「動かないくらい太ること」「静かでいること」であったとしても、それらは本来鶏からしたら何の意味も持たないはずが、褒められたり、叱られたり、皆が従う様子を見て、勝手に植え付けられた価値観でしかないのと同じ。
自分で選ぶことなく、社会や権力者の望み通りに育てられている。
これらの「神」やら「背後世界」に惑わされない存在、人が目指すべき姿を、ニーチェは「超人」と呼んだ。
2 道徳
道徳は、そんなに大したものではない。
その実、弱者の妬みや恨み(=ルサンチマン)から生じたものであり、それが世界的に広まったのはキリスト教の影響であるという。
キリスト教の始まりであるユダヤ人は、奴隷や迫害の歴史が長かった。
キリスト教より前のユダヤ教は「復讐」の色が強かったが、いくら待っても自分たちを苦しめる存在に鉄槌を下す存在は現れなかった。
であれば、次第に「心理的な復讐」により安寧を得るほかなくなった。
「自分たちを苦しめる人たちはなんて醜いことか。天国に行けるはずもない。対して無害で試練を耐える我々はきっと天国へ導かれるだろう」という思想に変わる。
「復讐」が「受苦」へと変わったのである。
その考えが広まり、「強者は悪、弱者は善」という価値観の転覆が起こったのである。
「道徳は尊い」という価値観も、疑ってみるべきかもしれない。
3 永劫回帰
ニーチェが提唱した概念。
まず、ビリヤードの球を突いた瞬間に玉の動きが決定しているように、宇宙規模でも同じことが言える。
人間の思考さえ、極限まで細分化すれば原子レベルの信号の動きであり、我々の行動も既に決まっていたのである。
そして、宇宙には「ビッグクランチ理論」というものがある。
これは、ビッグバン以降今は膨張している宇宙もいずれは縮小に移行し、やがて総てが無に帰す。
そしてまた、ビッグバンが起き、同じことが繰り返される。
すなわち、我々は永遠の時間を終わることなく繰り返しているに過ぎない、かもしれない。
「死ねば解放される」など言っている時点で、まだ逃げ道が残されているだけマシなのである。