夫の命日。
昨日から、ソワソワしてました。
あの日、あの時を思い出し、自然と涙が出る。
ほとんど寝ずに、2カ月の自宅看病をした。
ちっとも、「しんどい」と思わなかった。
午前4時、カタッと音がした。
夫がベッドから起き上がり「鼻血がでた」、そう言った。
そして数秒後には気管切開部分から血液が出だした。
頸動脈破裂だ。
私は夫を落ち着かせるために、「大丈夫、鼻血だよ」そう言いながら吸引をしつづけた。
三女が起きてきたので、子供たちみんなを起こすように伝えた。
夫は頸動脈破裂したことを把握していた。
「救急車を呼んで」夫はそう言った。
「家族のもと、自宅で死にたい」入院中、主治医、教授にそう話していた夫が救急車を呼ぶように伝えたとき、私には分かった。
夫は、生きたいのだ。
血まみれになった服も着替えず、救急車に乗った。
夫を助けるんだ!
私は強く心の中で叫んでいた。
阪大の救命救急に入り、私と子供たちは、外で待っていた。
頸動脈破裂する可能性は大だと言うことは入院中、主治医から聞いていた。
その場合、手のつけようがないことも言われた。
奇跡、高度救命救急センターの医師の腕により夫は意識を取り戻した。
午前8時前。
夫と対面した。
血の気のない顔色。
再出血をしないために身体は冷やされていた。
「再出血したら最期だ」と教授が言った。
寝かせないように。
身体を温めないように。
色々とアドバイスしてくれた。
夫は静かに何か考えこんでいるようだった。
そして、私たち家族に手を合わせ、「ごめんね」そう言った。
午後12時半頃、再出血。
ドクターや看護師たちか大勢駆けつけて、血液の吸引を始めた。
「延命処置はしない」
夫は入院中、それも話していた。
主治医は涙を流しながら、吸引をし続けた。
そして出血もなくなり、私たち家族を夫を囲むように、夫から言われた通りのことを促してくれた。
いっぱいいっぱい夫の耳もとで話をした。
午後1時すぎ、夫は静かに旅立った。
お父さん(夫)、私は貴方がいなくなり、とても淋しくて、1人で何とか子供4人を育てました。
お父さん、どうしたらいいの?
仏壇で、何度も問いかけていた。
私はダメダメ人間になっちゃったよ。
お父さんのせいじゃなく、私自身の弱さです。
お父さん、会いたいよ。
話したいこと、相談したいこと、いっぱいありすぎて‥。
お父さんの遺言どおり、今年は散骨式もしました。
お父さんの尊敬していた、坂本竜馬像も見てきました。
そして、貴方の記した「島医者のひとりごと」を書籍化しましたよ。
沢山の人に読んでもらいたいです。


