※不幸のデパート①②③のお話の続きです※
あれから、、、
母は、施設に一年ほどお世話になった。
施設に入ったら、
しばらくは黒い人影が現れたり
怯えたりしないものの
「きっと母はそのうち不満をみつけて
グチグチと言うに決まってる」
と言う私たち姉妹の予想を
面白いぐらいに裏切らなかっった。
自分の思い通りにならないと
「上の人を呼んで頂戴!」
などと偉そうな言い方をしたり
母の買い物に
付き合ってくれた妹に対して
謎の怒りをぶつたり。
施設には金品を持ち込めないのに
タクシーに乗って出かけたいから
お金が欲しいと言ったり
他にも一年の間には
色々あった。
「お母様の食欲がなくなってきました」
と施設の方から連絡があるたびに
妹と私は、母の好きそうなものや
食べれそうな物を結構な量を
持っていった。
そうして
何度か持ち直し
少しずつ衰えていく姿は、
まるで私達に心の準備を
促すかのようだった。
母は、いよいよ食べ物が自分で口に
運べなくなった時不穏になった。
他人様のお世話になるのが
よほど嫌だったんだと思う。
意識がまだはっきりしてる時には
「私がいなくなっても、泣いたらダメだよ。
私は色々な所に行けたし、人生に悔いはないよ」
と言っていた。
いつからだっただろう?
右上を見て
嬉しそうにしている。
そこには
きっと先に逝かれた
叔母達がいるのだろう。
母とのお別れの日が近い。
母さん。
母さん。
伝えたい言葉を懸命に
一方的に話しかける。
それから
数日後には
施設から看取りか、病院かの確認が
妹に入った。
数日後
母は意識がなくなり
病院に運ばれた。
そして
去年の暮れ母は旅立っていった。
旅立つ前日
私は、病室で意識のない母に
一晩中つきそい
母の耳元で赤とんぼを歌った。
幼い頃、母がよく歌ってくれた歌。
聞こえただろうか。
霊柩車に揺られ母が眠る棺(ひつぎ)に
そっと手を添え
ぼんやりと窓の外を眺め、火葬場まで
あと少しという時。
急に、何とも表現できない気持ちが
ムクムクと湧き上がってくるのを感じた。
我に帰ると次に、
耳の奥に、あの「赤とんぼ」の旋律が
はっきりと流れ込んできた。
驚いて、運転手さんに問いかけた。
「なぜ、今赤とんぼが流れているのですか?」
すると運転手さんは、
「いえ、車内では最初からずっと、お見送りの曲を何曲も流し続けていましたよ」と、、、
愕然とした。
私の耳に届いたのは
あの「赤とんぼ」だけだったのだ。それは、亡くなる前日
病室で私が歌ったことへの
母からの「お礼」だったのかもしれない。
「聞こえていたよ」
と伝えたかったのかもしれない。
胸の奥深くから、目の奥から、
母への愛おしさが込み上げてくる。
だって、私と母にしかわからない
こんな方法で
秘密の「愛の合図」を送ってきたんだから。
不器用な愛を学び合ってきた母と私。
送る側と受け取る側、どちらも
完璧な親子など、この世にはいないはずだ。
すれ違い、傷つけ合い、
それでもなお
最後の一瞬に響き合える何かが残る。
だからこそ、私はこの世に愛を学びに
生まれてきた。
あの日
欲張ってリュックに詰め込んだ品々は
この世で愛を学ぶ為のお道具だった。
あの時のおじいちゃんが
ウインクしてくれている。
(不幸のデパートをお読みいただくと
おじいちゃんの正体がわかって
お話が
お話が繋がります

もしよろしければ
お読みいただけると嬉しいです
)
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長い間、私の拙いブログを
お読みいただきありがとうございました。
次回からは
noteに移行していく予定です。
また、母の目線からみた物語など
新しい表現にも挑戦していこうと思います。
皆様の歩む道に
あたたかな光が降り注ぎますように
感謝を込めて


