おはようございます😊☀️

入院生活にもだいぶ慣れて、快適さすら感じる今日この頃ですσ^_^;


さて、前回の続きです。

本家に埋められていた『馬頭観音様の石碑』

なぜ埋められていたかと言うと、明治時代に起こった『廃仏毀釈』、これが原因でした。


簡単に説明すると、明治維新により、再び天皇中心(とは言っても、実権は政府)の国家体制で行く事になり、「もともとの日本の宗教である『神道』で、やって行こう!」「海外から来た仏教を排斥しょう!」


という、とんでもない破壊活動がありました。


仏教は聖徳太子の時代に日本にもたらされ、その後、神道と習合して行った歴史があるのに・・・


当該の『馬頭観音様の石碑』も、この時に埋められてしまったものと思われます😥💦💦


今でも神社に行くと、寺院も一緒にあった痕跡があったりして、


『江戸の頃はどんな感じだったのだろう(゚o゚;;』


なんて、思う事もありますσ^_^;


そして、『廃仏毀釈』によって、病気になっている人が、たくさんいたという事です。


それは、『D院』に行った時にわかりました🏥


次回は、『D院』に初めて行った時の事に、少し触れたいと思います。


最後までお読み頂き、ありがとうございました

😊🐉‼️