ふと、コインの裏表はどっちだっけ?となったら。

一度記事にしてみたかったこともあるので、調べて備忘録とします。

 

我が国では、ご存じ、皇朝十二銭のような円形のコインもありましたが、方形の金銀や大判小判のような通貨が用いられていましたね。

しかし、明治になって西洋のコインのような通貨を製造することになったのであります。※竜の意匠の話などは割愛。

 

※以下、資料は国立国会図書館デジタルコレクションより抜粋。

書籍は、

「新貨条例 大蔵省」

「貨幣條例ー新貨幣條例改正ー 造幣寮」

「貨幣條例備考 造幣寮」

「貨幣法規 大蔵省」

を引用。

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参考:3.(2)の書籍のみ掲載しています。

 

明治4年5月の新貨条例(太政官布告)

新貨条例最初の項。明治の法律、いわゆる布告は周知することの意味ですが、明治の法律の事のようです。ここからの文書を読んだものの、表と裏に関する文書の記載は無かった。ただし、この中の新貨幣品位量目表に各金種の略図がありまして、

その中に、

円銀と旧金貨の絵図はよく見るので補助貨幣も一緒に。

旧円銀も。

よく見ればヨダレが出てくる試作貨なんか書いてあったりしてたまりません!

もとい!この図で分かるのは、明治4年の時点では、

竜図面が表、菊紋面が裏

ということです。

しかし、明治6年の竜2銭銅貨発行の太政官布告では、

銅貨の竜図面が裏とされてしまいました。

更に、明治7年3月の太政官布告で、

貿易銀(円銀)まで竜図面が裏になってしまったのです。

旧圓銀が新円銀になってますね。しかも7年前期。

ここまでで、

旧金貨は、龍図面がまだ表で

貿易銀(円銀)と竜銅貨が龍図面が裏になってしまったのであります。

銅貨をデザインして発表する時に、

何も考えずにやったか誤って記載したのか定かではありませんが、ついでに円銀まで変わってしまいました。

このあたりでもう金種によって表裏がグチャグチャです。。。

 

そこで、次の年の明治8年6月、

新貨条例改め、貨幣條例とし、改めて裏表を定めたのが以下。

全部竜図面が表となりました。

旧圓銀、貿易銀(円銀)、貿易銀(明治8年〜)、銅貨も、竜図面を表としています。

この後暫くは統一された竜銭(1厘とかは無しね。)が製造されていましたが、

銀の流出、価格の下落などがあり、日清戦争を経て清国思想で龍図が良くないね。賠償金で新金貨作ろう、旧金貨は倍で通用、と繋がっていきます。

そして明治30年3月、貨幣法・貨幣形式令によって新金貨が定められたのですが、、、

これらの図案には、”表裏”の記載が無くなってしまいました。

ついでに”竜”が金貨から無くなってしまいました。

本位貨幣の新金貨からは竜図が失われてしまいましたが、ここからはコインの表裏に関して、菊紋がある側を、表とするように。

その後、戦後GHQにより、菊紋が天皇や軍国主義の象徴とされ使用を禁じられ、

大蔵省内で協議の上、年号が書かれた面が全て”裏”の扱いだったため、

年号面を裏

と扱うことになり、

今日まで、法律上も貨幣については表裏の定めがありませんが、

現行貨幣も、造幣局内で年号面を裏と扱うようになっており、一般的にも同じ扱いが浸透しているとのことです。

 

我々コレクター、特に竜銭収集家が竜銭の表裏を考える際、以上のような経緯があった事を踏まえても、やはり竜図面が表とみているのが慣例あり、自分もしっくりきます。

スラブも円銀、貿易銀および竜銭はNGCもPCGSも竜図面が表に封入されてますね。

↑アタシのです。

新金貨はというと、PCGSとNGCは、

当時の法律とは違って、年号面(旭日)が表に封入されてます。

派手な模様が確かに表っぽくてしっくり来ますね。

でも、財務省放出スラブは、

明治30年貨幣法の通りに、菊紋面が表になるように封入されてます。

実は、組合カタログも竜図が左になっていますが、新金貨や旭日銀は左が菊紋面になっています。

日本のコインおやじのこだわりが見て取れますね。良いことです。

 

無茶苦茶長くなってしまいましたが、

結論

年号が書いてある側が、裏。

であります。

 

勉強になって楽しかったですm(_ _)m

お読み頂き有り難う御座います。