集団的自衛権や憲法改正がとりだたされている。
特に、保守色の強い安倍さんと石破さんが
表立ってきたことが大きい。
ところで、集団的自衛権や憲法改正は、
近年になってやっと議論され始めたことではない。
最近、ブログでは懸念を示すことが多いが、
この集団的自衛権の全面肯定派に対して懸念を表したい。
そもそも、懸念を表していることは、
私がその物事に対して反対の立場をとっていることを
必ずしも意味しない。
なにかとメディア(特に民放)は、強い論調、
国民受けする論調を全面に出しているので、
それに反する意見が黙殺されているのに
反抗したいという立場から、懸念を表している。
今の時代において、ある論調が必ずしも正しい
ということはなかなか存在しない。
双方の意見に合理性があり、その折り合いを見つけて
いくことが求められているのである。
したがって、反対意見にも耳を傾けることは重要である。
ということで、集団的自衛権に話は戻る。
今回は面倒なので、集団的自衛権が何なのかは説明しない。
日本が国際社会で認められていることの一つとして、
“平和”な国の象徴というのがある。
最近は、中国との関係があまり良くないが、
日本は攻め入ることを目的とした軍隊をもたない国であり、
原爆が落とされて以降、海外に置ける日本のイメージとして
平和な国であると定着している。
しかし、集団的自衛権を認めたときに、起こりうるのが、
日本は“軍事的にも”アメリカに加担し始めたという
印象を持たれてしまうということである。
もし、例えば海外のテロ組織や反政府組織などに、
そういうイメージがついてしまったときに、
日本は海外で平和活動を行うことが困難になるかもしれない。
実際に、“日本が平和な国”だというイメージで
貢献できている平和活動というのが国際社会ではあるのだ。
その日本の特別な強みを失う恐れが、
集団的自衛権を認めることのデメリットとして挙げられうる。
たしかに、それ以上に、集団的自衛権を認めることによる
アメリカとの関係性の向上にメリットは挙げられるだろう。
ただ、そういうデメリットもあることは知る必要がある。
特に、保守色の強い安倍さんと石破さんが
表立ってきたことが大きい。
ところで、集団的自衛権や憲法改正は、
近年になってやっと議論され始めたことではない。
最近、ブログでは懸念を示すことが多いが、
この集団的自衛権の全面肯定派に対して懸念を表したい。
そもそも、懸念を表していることは、
私がその物事に対して反対の立場をとっていることを
必ずしも意味しない。
なにかとメディア(特に民放)は、強い論調、
国民受けする論調を全面に出しているので、
それに反する意見が黙殺されているのに
反抗したいという立場から、懸念を表している。
今の時代において、ある論調が必ずしも正しい
ということはなかなか存在しない。
双方の意見に合理性があり、その折り合いを見つけて
いくことが求められているのである。
したがって、反対意見にも耳を傾けることは重要である。
ということで、集団的自衛権に話は戻る。
今回は面倒なので、集団的自衛権が何なのかは説明しない。
日本が国際社会で認められていることの一つとして、
“平和”な国の象徴というのがある。
最近は、中国との関係があまり良くないが、
日本は攻め入ることを目的とした軍隊をもたない国であり、
原爆が落とされて以降、海外に置ける日本のイメージとして
平和な国であると定着している。
しかし、集団的自衛権を認めたときに、起こりうるのが、
日本は“軍事的にも”アメリカに加担し始めたという
印象を持たれてしまうということである。
もし、例えば海外のテロ組織や反政府組織などに、
そういうイメージがついてしまったときに、
日本は海外で平和活動を行うことが困難になるかもしれない。
実際に、“日本が平和な国”だというイメージで
貢献できている平和活動というのが国際社会ではあるのだ。
その日本の特別な強みを失う恐れが、
集団的自衛権を認めることのデメリットとして挙げられうる。
たしかに、それ以上に、集団的自衛権を認めることによる
アメリカとの関係性の向上にメリットは挙げられるだろう。
ただ、そういうデメリットもあることは知る必要がある。