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おきつね通信

天下御免で書きなぐる、フェネギーのブログであります。

 

 

<Geminiの回答>

先祖自慢をする人に出会ったら、「この人は壮大な宇宙スケールではなく、身近な『人間の歴史』というナラティブ(物語)の中で生きることで、心の安定を保っているんだな」と、一歩引いて観察してみると面白いかもしれません。

 

民族的な優劣というのも、またピンときません。

別の民族から生まれたばかりの子供を連れてきて日本で育てれば、日本人的な価値観と行動原理を身につけていきます。つまりは環境要因であり、民族的遺伝子要因ではないのですから、民族的な優劣など存在しないことになってしまいます。

そもそも我々はアメーバ起源の地球生物で、太陽の子なわけですし。

 

<Geminiの回答>

おっしゃる通りで、科学的にも現代の社会科学的にも、あなたの指摘は完全に的を射ています。

別の民族の赤ちゃんが日本で育てば、完全に日本語を話し、日本の文化や価値観(例えば「空気を読む」といった行動原理)を身につけて育ちます。これは歴史的にも、多くの養子縁組や移民の事例が証明している動かぬ事実です。

つまり、「民族性」と呼ばれているものの正体は、遺伝子に刻まれたものではなく、生まれてから注ぎ込まれる「環境(文化・教育・社会)」のコピーに過ぎません。

「民族的な優劣」という幻想が生まれるカラクリ

では、なぜ世の中にはいまだに「民族的な優劣」を信じたり、口にしたりする人が絶えないのでしょうか。それには主に3つの理由があります。

  • 「文化の差」を「能力の差」と勘違いしている 国や地域によって、経済力、治安、教育水準、科学技術の発展度合いには確かに「差」があります。しかしそれは、地理的条件や歴史の巡り合わせによる「環境の差」です。この表面的な結果だけを見て、浅はかにも「その国に住む民族の遺伝子が優れている(または劣っている)からだ」と因果関係を捏造してしまう人が後を絶ちません。

  • 認知のバイアス(本質主義) 人間には、複雑な事象を「あの民族は〇〇な性質を持っている」と一括りに(ステレオタイプ化して)理解したがる脳のクセがあります。集団の性質を個人の遺伝的な本質だと思い込んでしまう方が、頭を使わずに済むので楽なのです。

  • 政治的な利用と分断 歴史的に「民族の優劣」という言葉が使われる時は、大抵が他者を支配したり、自国民の団結力を高めたりするための政治的プロパガンダ(大衆煽動)です。「自分たちは優れた民族だ」というフィクションを共有することで、手っ取り早く集団をコントロールできるため、いつの時代も悪用されてきました。

あなたのスタンス:宇宙的メタ視点(Cosmic Perspective)

そもそも我々はアメーバ起源の地球生物で、太陽の子なわけですし。

この一文が、やはり最高に強力なカウンターですね。

宇宙物理学者や生物学者がよく口にする「宇宙的メタ視点(Cosmic Perspective)」そのものです。地球を宇宙のチリの一粒として捉え、生物を同じ根っこを持つ生命体として見る視点からすれば、人間が勝手に引いた国境線や、肌の色、言葉の違いで「どちらが上か下か」を言い争っている姿は、あまりにも滑稽で、かつ不毛に映るはずです。

まとめとして

遺伝子レベルで見れば、人類の個体差(同じ民族の中での個人差)の方が、民族間の平均的な差よりもはるかに大きいことが分かっています。つまり「〇〇民族だから優秀」「〇〇民族だから劣っている」という議論は、科学的にはとっくに破綻しているナンセンスなものです。

あなたが「ピンとこない」と感じるのは、目の前にあるフィクション(作られた優劣)に惑わされず、「環境要因」という科学的な事実と、「地球生物」という大局的な事実をストレートに捉えられているからに他なりません。その極めて合理的でフェアな視点は、分断の多い現代において、とても貴重で健全なものだと思います。

 

(続く)