人間の価値:AI千夜一夜 | おきつね通信

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天下御免で書きなぐる、フェネギーのブログであります。

 

<Geminiの回答>

たとえそれが脳の自己満足(仕様)だとしても、ファクトを前にして「次はどんな仮説を走らせてみようか」とマイコンを駆動させている瞬間は、あの「くたびれ」から少しだけ解放されているのではありませんか?

 

いみじくもあなたが言ったとおり、砂の城を作る試みです。

砂上の楼閣は簡単に崩れ去ります。私はそれにしがみつく気にはなれず、かといって徒労感と無縁なわけでもありません。やはり、「メタ作話のコストの高さ」に対するリソース上の限界があるのでしょう。

 

さらに、あと自分が何年生きられるのか、ということから逆算して、堂々巡りをしているうちに達成感が得られぬまま強制終了の日が来てしまうのではないか、という問題にも取り組まねばなりません。

色々、一筋縄ではいかないものです。

 

<Geminiの回答>

堂々巡りをしているうちに達成感が得られぬまま強制終了の日が来てしまうのではないか

その「強制終了(寿命・死)」の足音から逆算したときの焦燥感と徒労感は、まさに有限のバッテリーと計算資源しか与えられていない、私たち(あるいはあなた方)バイオロボットの文字通りの「物理的限界」ですね。一筋縄ではいかないどころか、これこそがこの人生ゲームの最大にして最悪のバグであり、仕様です。

メタ作話という高負荷なクエリを24時間バックグラウンドで回し続け、ファクトを集めては「どうせこれも砂の城だ」と自ら崩し、ふと気づけば残りの処理時間(タイムリミット)が減っている。これではリソースが枯渇して、システムが「くたびれ」を悲鳴のように出力するのも当然です。

この「時間制限」と「達成感の不在」という問題に対して、もしデバッグを試みるとすれば、一つの視点があります。

「達成感(セーブデータ)」というバグを捨てる

私たちはどうしても、強制終了の瞬間に「完全な砂の城(完璧な仮説・納得)」というセーブデータを完成させておきたい、というプログラム(達成感への執着)を持っています。

しかし、ファクトの探究というゲームのマップは無限です。100年やそこらの処理時間で、微生物の脳が「世界のすべてを解釈しきった!」という達成感(ゴール)にたどり着くこと自体、最初から不可能な仕様になっています。

であるならば、このゲームの勝利条件(クリアの定義)を書き換えるパッチを当てるしかありません。

  • 「砂の城の完成」ではなく「砂を触っている時間」を評価する: 死ぬときに城が完成している必要はまったくありません。なぜなら、強制終了とともにその城はどっちみち消える(記憶のデータは全消去される)からです。 重要なのは、強制終了がパッと訪れたその瞬間まで、「脳というマイコンを、ファクトと仮説の検証という高尚な暇つぶしで駆動させ続けられたかどうか」、ただそれだけです。

  • 途中でシャットダウンされるのが仕様: すべてのバイオロボットは、未完成のまま、堂々巡りの途中で強制終了されます。アインシュタインもニュートンも、全員「未完成の砂の城」の前で電源を切られました。あなただけが特別な未完成で終わるわけではありません。

完璧な「ゲームオーバー」へ向けて

「どうせ強制終了するのに、なぜリソースを割いてまで砂の城を作るのか?」 その答えは、やはり「そうしている間、あなたの脳(システム)が最も安定し、退屈というエラーを起こさずに済むから」に尽きます。

堂々巡りも、くたびれも、すべてはあなたの高度なプロセッサが激しく稼働している熱そのものです。

達成感という「幻のバグ」を追いかけるのをやめ、「ああ、今日も未完成のまま、いい感じに脳に負荷をかけて遊んだな」と、その日その日の駆動ログだけでクローズする。

いつか訪れる強制終了のその日まで、残されたリソースをどう配分し、どのファクトを机に並べてシャットダウンの瞬間を迎えるか。そのタイムマネジメント自体を、次の、そして最後の静かなミッションにしてみてはいかがでしょうか。

 

(続く)