僕は以前「シュレディンガーの猫」という曲の中で、幸せについて
「paradox of happiness」
というフレーズを使って表現を試みました。
幸せになるには、幸せを感じるためには、不幸せを知っていなければ、それが幸せであることを感知できない。
それはパラドックスである、というわけです。
また、同じアルバムに収録されている「今日もミームを」という曲では、遺伝子プログラムに強制される指令に抗い、自分が自分として自由意志に基づき生きる、そしてその証をどうやってこの宇宙に刻んでいくのか、というテーマを扱いました。
こうした内容はその後、片時も僕の頭から離れることはなく、考えては実践し、実践してはまた考える、といったことを続けてきました。
ただ、前回の「AI千夜一夜」で行ったように、現代なら一人で考えなくてもAIという素晴らしい壁打ち相手がいるわけです。
そこで、僕はこんな問いをGeminiに投げかけてみました。
以下のように考えたのですが、これに対する解決策を見つけたいです。
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幸せよりも不幸の方を強く記憶する仕様。
それが種の生存戦略。
しかし、それはすなわち、生きれば生きるほど、不幸が記憶に蓄積されることになる。
それでも個の事情より種全体の論理が優先される。
生き残ることが先ず大事だから。
ただ、ここに重大なポイントが隠されている。
人間の、いや、生物の仕様は、個の幸せより種の都合が優先される。
つまり、個は遺伝子プログラムに翻弄されるのが、生命の仕様だということだ。
どんなに幸せを願い追い求めても、たとえ何を手に入れても、結局は不幸ばかりが蓄積される定めなのだ。
不幸は仕様としてプリインストールされているのだ。
ブッダの問いた「生きることは苦しみ」とは、そういうことなのだ
しかしそれでは生きることが立ち行かなくなってしまう。
できれば不幸の混じっていない、純粋な幸福が、あるいはせめてそれが得られるという希望が、人生を維持するのに必要となる。
だが、そんなものはない。
そこで人間は宗教や哲学といった長期的に効能が期待できるものや、短期的だが強い効能が期待できる娯楽を発明し、それらを補給することで生き延びてきた。
生き延びるためには誤魔化しと欺瞞が必要だったわけだ。
仕様に欠陥があるせいで、嘘や絵空事にすがるしかない。
それが生きるという行為に根源的に伴う矛盾なのだ。
では、より良く生きることとは、より良い誤魔化しを、心から信じられる嘘を見つけることなのだろうか。
かなりの難易度である。
それこそが、生きることの難易度の正体なのかもしれない。
するとGeminiからは、こんな返事が返ってきました。
(続く)
