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★5/25  微信公衆号@張三堅回来了

 
セイドゥ、キャサリン、ドロシー、メアリー、モンク
張三堅回来了 2024-05-25  18:02
 

 この前「アメリカン・フィクション」「僕はキャプテン」「ドリーム」の3本の映画を連続して観た、なかなか書き始められかったが、ついにある日の午後、頭の中で散らばっていた考えが金線銀糸で繋げられて、音節の輪がぐるぐる回っていった。
 

 まずは「僕はキャプテン」から始めます

 

 

 西アフリカのセネガルから来た16歳の少年セイドゥは、ヨーロッパで自分の音楽の才能を披露し、いつか「白人がサインを求めて列に並ぶ」を夢見て、いとこのムッサと一緒に密かにお金を貯めて家を出て、セネガルからリビアを経てイタリアに密航する。

 

 彼らはサハラ砂漠を通り地中海に行き、偽造パスポートを申込んで金をだまし取られる、体力のない女性は灼熱の太陽の中で置き去りにされ、同行者が砂漠で車から降ろされ自然淘汰されるのをただぼんやりと見る、荒れ果てた砂漠は一滴の水も哀れむことなく、たとえ最後の涙でも蒸発させる。

 

 

 夜の砂漠の星空を思うと、それは流麗な楽園です。しかし彼らにとっては、武装集団に略奪され、監獄に拉致され非人間的な虐待に遭う暗黒だった。大工とレンガ職人は労働者として売られ、セイドゥは親切な叔父さんと出会い金持ちのために一緒に噴水を作り、出来がよかったので2人は釈放された。トリポリで離れ離れになった従兄と遭遇する、従兄は逃走時に銃で足を撃たれ、傷口が悪化してイタリアに治療に行かなければならなかった。

 

 

 セイドゥは密航組織にまた騙されて、密航者で満員のボロボロの船に乗って海峡を渡った。月の光が地中海を照らし、さまざまな困難や危険が次々とやって来る。風波の挑戦、病気の猛威、狭い船室、出産する人そのすべてが航行の残酷さを激化させた。

 

 

 船がシチリア島に到着しようとした時、狭くて混み合う船室でみんなが抱き合い歓呼し、セイドゥは船首に立ち叫んだ。「僕は船長だ。僕はやった、僕はみんなを救った、誰も死ななかった、僕は船長だ、僕は船長だ!」

 

 

 最後にセイドゥの長いクローズアップショットが与えられた、彼は時につぶやいたり、沈黙したり、ひび割れた口を僅かに開けている、人はフレームの右側で、目は常に左前方角に向いている。カメラは彼が何を見ているのかを説明しない。明媚で熱烈なシチリア島かもしれない、彼の念願の音楽かもしれない、もっと残酷な現実かもしれない、童話は最後には接岸します、たとえ黒い童話でも。

 

 数年後もしこの異郷から来た黒人たちが欧米で勢いよく成長し、良い教育を受ければ、一流の機関や組織に加わることができる、私たちは「ドリーム」に入ります

 

 

 この映画は実際の事件をもとに改編され、まだ人種隔離政策を実行していたアメリカを描いています、黒人は社会の底辺で、人種差別と抑圧を受けると同時に、失業、貧困、死の脅威に直面している。この映画はこのような背景の中で、NASAで働く3人の黒人女性数学者がアメリカの宇宙計画への貢献したことを描いている。性別と肌の色の二重差別を受けるが、能力と努力で偏見を一歩ずつ打ち破り、最後には尊重を得る。

 

 

 この映画は差別と偏見の現象を体現する力はハンマーのように、直接的で敏捷だが、表現方式は繊細で、強打の下の柔らかい朱砂が油圧機の小さな穴からゆっくりと流れ出るようです。

 

 差別は「人が人に対してとある欠陥、欠点、能力、出自において不平等な目で見る」ではない、キャサリンがオフィスに入ってすぐに、清掃員としてゴミの処理を求められる、同僚の男性と同じオフィスにいて注視される、バスの座席に座る資格がない、彼女は20分かけて別のビルの「有色人種の女性専用トイレ」に行かなければいけない、彼女が共同コーヒーポットを使った後、そのコーヒーポットは誰も使わない。

 

 

 白人と有色人種は人為的に隔たれて、憤懣や抑圧がある。抑圧に直面すると、この3人の女性主人公は毅然として頑強を示す、映画もより直接的な反抑圧方式を採用し、意図的な誇張や情緒の扇動はなく、むしろ長い間蓄積された日常生活の状態からほとばしるパワーです。

 

 キャサリンはトイレに行く時間が長すぎると上司が叱責する時に、映画の最初の激しい感情シーンがオフィスで展開されます、彼女は人込みの中に立ち「このビルには有色人種が使用できるトイレはない、半マイル外の西区のどのビルにもない。私は自転車に乗れない、私の制服は膝下しかない、身体に真珠のネックレスを身につけることしかできない、いいえ、私は真珠を持っていない。あなたが払う給料では真珠は買えません。私は犬のように昼夜仕事をしている、あなたたちが触るのも嫌なコーヒーを沸かして目を覚ましています。」

 

 ドロシーは図書館で本を買い白人に追い出された後、バスに乗り座って冷静に自分の子供に、事情が存在したからと言ってそれが正しいとは限らない、と言った。

 

 メアリーは肌の色のせいでエンジニアになれなかったので、法廷に出て裁判官と対面して話をすることを選んだ。

 

 最後に、彼女たちの誠実さと努力、それぞれの分野でのずば抜けた才能によって、キャサリン上司はオフィスの「有色人種の女性専用トイレ」の看板を叩き落とし、キャサリンにずっと偏見を持っていた同僚の男性はコーヒーを持って来て、同僚の女性は真珠のネックレスを彼女にプレゼントした。ヒステリックな悲しみや訴えはなく、格別に優しく処理され、自分の能力と価値での逆転は格別に強力です。

 

 

 風向きは引き続き良好で、「ムーンライト」から「グリーンブック」まで、黒人映画が世界の注目を集めている。近年のアジア映画は「パラサイト 半地下の家族」、「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」のように隆盛を極め、障害者に注目した「コーダ あいのうた」に至るまで、オスカーでは少数民族が注目と支持され、多元文化、様々な肌の色が「政治的に正しい」まるで「最高の時代」に来たかのようです、「アメリカン・フィクション」を開く

 

 この白人監督の黒人映画はアカデミー賞5部門にノミネートされ、最終的には脚色賞を獲得した。主人公ムンクは大学の先生兼作家で、職業的に体裁が良く、生活も中層階級以上のレベルで、映画の冒頭で黒人文学について率直に語り、黒人を怒らせる言葉を書き、かえって白人女子学生を傷つけ、最終的には強制的に休暇を取らされる。

 

 

 一方で、彼の作品は高尚過ぎて理解されないし、黒人的な特徴はないが、自分の作品を通じて人種の境界線や肌の色の固定観念を打破しようとする、結果、新刊発表会では人が少なくひっそりしている、本に関心を持つ人誰もがいなかった。


 その一方で、優れた精英教育を受けた別の黒人女性を見て、本には黒人の底辺生活は白人市場に迎合すると書いてあり、壇上で俗っぽい話をすると、会場は驚きの声を上げ、大ウケした。


 何を書けば注目を集めるか分かっている、黒人グループが受けた悲惨な境遇に他ならない、例えば「警察が青少年を殺す、スラム街で5人の子供を育てているシングルマザー」だが、自分に妥協することはできない。

 

 

 仕事は思うようにいかない、生活も不安定、妹は思いがけず亡くなり、母はアルツハイマーになり、弟はずっと薬物中毒です。経済的な窮迫と恨みが混ざり合う中で、彼は底辺の黒人のペンネームで、完全に固定観念の黒人に基づく本を書いた。文学的価値がないと思っていた本が、有名な出版社やプロデューサーに劇的に気に入られ、著作権を高価で購入し、映画化もしたい。


 物語はここまで発展し、荒唐無稽主義とホームドラマの間を優雅で風刺的に進んでいる。強いストーリーと核心価値に支えられていた前の2本とは違い、この映画はいくつかの雰囲気の出現にかなり清新な文芸感があり、鋭く憤る人のように傷をつけられたロマンをかすかに現している。

 

 

 物語の後半、ムンクは偽の指名手配者を作り上げ、白人はさらにクレージーに喜び、黒人指名手配者が書いた本は「クールだ、これがrealだ!」ムンクは突如本のタイトルを「F**K」に変更、出版社がこれで手を引くと思ったが、意外にもこのようなとんでもないタイトルは本をさらに売れただけでなく、ムンク自身が審査員を務める文学賞にも選ばれた。そして、この本は投票を経て、その年の文学賞の最優秀受賞者となった。最後に、ムンクは脚本家として、確かな結末を与えなかった。「おそらく、シリアスな作家として、彼もこの荒唐無稽なドラマをどう終わらせるか分からない」。

  

 

 人種や肌の色については、異なる表現方式で生み出される数多くの優れた作品は、それぞれの物語や時代背景が現実の参考になるとは限らず、この3本の映画を連続して見ただけで、題材もアフリカ系の人々を中心に、だから一緒にまとめました。


 今のこの段階では、黒人教師は教室に立って学生に授業をすることができて、私がこの前遊学した時、地下鉄やバス、そして教室では世界各地からの多元文化を感じました。下に座っている学生たちは異なる肌の色で、それぞれの先生は各自独特の英語のアクセントを持っている、現実の生活は開放的で多元的な感覚をもたらしているように見えるが、「アメリカン・フィクション」に戻ると、賢明で鋭敏な表現の多元的な下にある別の苦境は、固定観念が芸術を傷つける、物語は小さくて美しく、刃物ように速くて鋭い。


 意識は幾度も発展すると、浄土は常に分かっている。肌の色は変わらないが、名前には明るい光が必要です。


 彼は船長ではない、彼はSeydou(サイドウ)です


 彼女たちは隠れた人物ではなく、Katherine(キャサリン)、Dorothy(ドロシー)、Mary(メアリー)です


 彼はLeighではない、彼はMonk(モンク)です。