第24回『高等小学校について』 | 五目紙物店「寅屋」

第24回『高等小学校について』

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小学校六年生の進級の時は、
クラスの番号は十番近く迄挙がるが、
中学校進級の者達が、
放課後の特訓と、
夏休みも返上の勉強で、
成績が向上したのであろうか、
私の卒業時の成績は、
五十余名中二十三番だった。

高等小学校に入学する頃の学生服を着る者は、
八、九割が着物で、
通学はチラホラ見受けた。
私もお古で縫い込みのある学生服で通学をする。

学校迄、
片道で七百メートル程あり、
帰宅の時は走り帰るが、
少しでも帰りが遅いと父に嫌味を言われた。

その分、
妹達が頑張る。
冬は胡瓜の温床作りで忙しく、
秋は稲の刈り込み取り入れ、
春は地こしらえ。
夏は夏休みがあるが、
稲田への水かえの水車回しで、
夏休みの宿題に四苦八苦で毎年過ごす。

私の一番嫌な事は、
毎月の様に父の車の後押しで、
人糞を汲みに行く事。
通学路を通り往復するが、
翌日学校に行くと級友から苛めに合う。
こいつ臭い臭いと突き飛ばされる。
実に悲しい数日を過ごした。

人糞は毎日田で見ているが、
糞汲みの日は実に憂鬱であった。
級友で私が独り百姓だったから…。

一度、
終身の時間に二宮金次郎は、
肥坪の肥料が熟しているかおらぬか、
指を入れて嘗めて確かめて使ったと、
先生が説明をする。
さぁ大変、
休憩時間に、
「お前、糞を嘗めるのか。」
と苛めにあった。

級友で一年生の時から、
歩行困難で毎日乳母車に乗せられ、
母が連れて来る者がいた。
通学路の途中だったので押して帰る。
それが切っ掛けで私を入れて三名、
毎日、
雨の日も風の吹く日も、
三年間休まず通学するが、
一度として誉めて貰った事が無いが、
当時としてはそれが当たり前。

私達三名三年間、
重い鞄を乳母車に投げ入れて、
背負う事無く過ごせた。

六年間一度だけ、
父の言い付けで、
田植えの時に学校を欠席する以外は、
なにも賞を貰えぬが、
皆勤賞だけは持ち帰る。

高等小学校の折り、
学校で売る、
五銭の豆パンが食べたかったが、
遂に心を残して卒業をする。
今だに思い出す。