第14回『世相の様々』
当時は何処の家庭でも、
蚤(のみ)、虱(しらみ)、ごきぶりは、
付き物の様に目に付いた。
学校の朝会の折り、
前の生徒の襟に虱が這うを見る。
蚊は夕方、
各家庭の軒先に蚊柱が幾つも見られた。
学校の宿題にマッチ箱一杯の、
蚊を持って来いの宿題が度重なる程だ。
蝿も蝿採り紙が直ぐ真っ黒くなる。
夕景ともなると、
青松葉を炊き蚊を追い出す煙で、
火災かと間違う状態…。
親達は、
早く蚊が少ない内にご飯を食べてと急がす。
ごきぶりは台所の隅を素早く這い回る。
不潔さ年中であった。
物売りの声は絶え間もなく、
のんびりと忙しく通り過ぎる。
春は植木売り、
売り声のんびりと過ぎ行く後より、
間の伸びた売り声の金魚売りが、
ゆっくりゆっくり重い荷を担ぎ通る。
竹竿売り、
下駄の歯ま替え。
盥(たらい)の輪替えは、
長い割った竹を巧みに扱い、
輪を造り取り付けるが、
その前で見ておると、
「仕事のじゃまだ後ろで見ろ」
と叱られる。
煙草のみのキセルの掃除は、
子車を押して、
湯気の圧力でピーと鳴らして来る。
キセルを取り付けて湯気を出すと、
凄いヤニが飛び出す。
暑くなると、
鈴を気忙しく振りつつ、
自転車でアイスクリンと走り去る。
キリギリス、
コーロギ、
秋が深まるとクッワ虫、
鈴虫と売り声高く売り歩くが、
子供達、
暑い日中に友を誘い、
墓場でキリギリスを採る。
胡瓜や瓜の切れ端を置いて、
食べに来た虫類を採る。
屑紙買い、
夕景近くは、
豆腐売り、
寒くなるに従い、
人気のイカケ屋さん(鍋、釜等を修理する人)が、
落語の場面そのままに、
折り重なる様に修理の炎で僅かに温もる。
大正年間の子供達は歯は磨かず、
歯に歯糞が付くと爪でコサゲテ取る。
現在の様に、
各家庭には暖房施設は完備されておらず、
部屋に蒲団を敷き、
コタツを入れて足の暖房
(コタツの燃料は炭を粉にした大人の一握りの大きさ)
にする。
そして、火鉢の小さな炭火で手を温める。
日常皆を遊ぶ時は手袋はせずで、
学校も児童の通学時は手袋は禁止であった。
毎日、
氷が張り詰める寒さの中、
児童達の多くは、
霜焼けで手の甲は腫れあがり、
重傷ともなると、
裂けて血膿が出るので、
包帯を巻く児童を多数見かけた。
手足には、
皹(あかぎれ)(寒さで手足の皮膚が裂ける事)や、
ひび割れと被害者大半を占める。
日中は、
子供は風の子で、
何処の家庭も子供を家で遊ばせない。
綿入れ着物を着て羽織りを重ね、
前掛けをする。
下着はネルのシャツに股引を履く。
足袋を履き、
下駄か草履を履く。
着物は裾が冷えて寒さも倍加されるから、
温もる為に走り回るか、
日溜まりで暖をとる。
とにかく、
遊びは温もる遊びに熱中する。
大人も子供も女性も腰巻き(おこし)をする
寒さも厳しかったと思う。
極寒の折り、
五十メートル位離れた所の風呂屋に行った時、
帰りに濡れたタオルが、
家に帰り着く迄にカチカチに氷り付く有り様…。
とにかく、
現在と違い寒さは厳しかった。
それを思うと現代の子供は実に幸福と信ずるが、
慣れれば同じ事かも知れない。
蚤(のみ)、虱(しらみ)、ごきぶりは、
付き物の様に目に付いた。
学校の朝会の折り、
前の生徒の襟に虱が這うを見る。
蚊は夕方、
各家庭の軒先に蚊柱が幾つも見られた。
学校の宿題にマッチ箱一杯の、
蚊を持って来いの宿題が度重なる程だ。
蝿も蝿採り紙が直ぐ真っ黒くなる。
夕景ともなると、
青松葉を炊き蚊を追い出す煙で、
火災かと間違う状態…。
親達は、
早く蚊が少ない内にご飯を食べてと急がす。
ごきぶりは台所の隅を素早く這い回る。
不潔さ年中であった。
物売りの声は絶え間もなく、
のんびりと忙しく通り過ぎる。
春は植木売り、
売り声のんびりと過ぎ行く後より、
間の伸びた売り声の金魚売りが、
ゆっくりゆっくり重い荷を担ぎ通る。
竹竿売り、
下駄の歯ま替え。
盥(たらい)の輪替えは、
長い割った竹を巧みに扱い、
輪を造り取り付けるが、
その前で見ておると、
「仕事のじゃまだ後ろで見ろ」
と叱られる。
煙草のみのキセルの掃除は、
子車を押して、
湯気の圧力でピーと鳴らして来る。
キセルを取り付けて湯気を出すと、
凄いヤニが飛び出す。
暑くなると、
鈴を気忙しく振りつつ、
自転車でアイスクリンと走り去る。
キリギリス、
コーロギ、
秋が深まるとクッワ虫、
鈴虫と売り声高く売り歩くが、
子供達、
暑い日中に友を誘い、
墓場でキリギリスを採る。
胡瓜や瓜の切れ端を置いて、
食べに来た虫類を採る。
屑紙買い、
夕景近くは、
豆腐売り、
寒くなるに従い、
人気のイカケ屋さん(鍋、釜等を修理する人)が、
落語の場面そのままに、
折り重なる様に修理の炎で僅かに温もる。
大正年間の子供達は歯は磨かず、
歯に歯糞が付くと爪でコサゲテ取る。
現在の様に、
各家庭には暖房施設は完備されておらず、
部屋に蒲団を敷き、
コタツを入れて足の暖房
(コタツの燃料は炭を粉にした大人の一握りの大きさ)
にする。
そして、火鉢の小さな炭火で手を温める。
日常皆を遊ぶ時は手袋はせずで、
学校も児童の通学時は手袋は禁止であった。
毎日、
氷が張り詰める寒さの中、
児童達の多くは、
霜焼けで手の甲は腫れあがり、
重傷ともなると、
裂けて血膿が出るので、
包帯を巻く児童を多数見かけた。
手足には、
皹(あかぎれ)(寒さで手足の皮膚が裂ける事)や、
ひび割れと被害者大半を占める。
日中は、
子供は風の子で、
何処の家庭も子供を家で遊ばせない。
綿入れ着物を着て羽織りを重ね、
前掛けをする。
下着はネルのシャツに股引を履く。
足袋を履き、
下駄か草履を履く。
着物は裾が冷えて寒さも倍加されるから、
温もる為に走り回るか、
日溜まりで暖をとる。
とにかく、
遊びは温もる遊びに熱中する。
大人も子供も女性も腰巻き(おこし)をする
寒さも厳しかったと思う。
極寒の折り、
五十メートル位離れた所の風呂屋に行った時、
帰りに濡れたタオルが、
家に帰り着く迄にカチカチに氷り付く有り様…。
とにかく、
現在と違い寒さは厳しかった。
それを思うと現代の子供は実に幸福と信ずるが、
慣れれば同じ事かも知れない。