第5回『真田バッカン』 | 五目紙物店「寅屋」

第5回『真田バッカン』

何処の家庭も内職で子供達を使う。
マッチ箱の製作の内職や、
雨傘の組み立ての内職がある

我が家の内職は、
真田バッカンを編む事。
これは夏の麦藁帽子の材料で、
麦藁を裂き、
四本で編んで長くするという作業。
四歳の妹も一緒に編む。

早い人で一時間に約四メートル位編むという。
七十一メートルで六銭。
これが我が家の唯一の現金収入。

夕食を済ませて、
全員薄暗いランプの下で編む。
大体、責任の長さになるとやめる。

それが、
大体九時前後で、
それより学校の宿題に取りかかるが
居眠り半分で苦闘する。

宿題をさぼると罰として、
一週間教室の掃除をさせられる。
掃除は良いが学校の帰りが遅くなり父の罵声が飛ぶ。
その方が恐ろしい。

父は夕食後、
直ちに家を出て行き、
三百六十五日夜遊び…。
母は父の帰りを待ち、
子供達の繕い物をする。
何時目覚めても母は何かをしているので、
子供達は、
「おかぁさん何時寝るの?」
と聞いたものだ。

我が家の状態を書こう。
貧農で喘ぎ喘ぎの家庭で、
近所ではもう、
八割方電灯が灯っているが、
我が家はランプの生活が続くのであった。
ランプのホヤの掃除は、
長男の義務で朝学校に行くまでに済ます。

大正時代の子供達の躾(しつけ)は実に厳しかった
小学校に入学すれば、
男女ともに庭の掃除は義務付けである。
我が家では、
まず、長男が庭表の掃除をする。
次男が一年生になると、
庭表の掃除は次男がする事になる。
長男は場所が移動し、
台所と離れの両側の縁側の拭き掃除をする。
三男が一年生になると、
同じようにずれていき、
長男は、
今度は表座敷の八畳と次の六畳と四畳半と離れの八畳の拭き掃除になる。

次の一年生が入学する頃には、
長男は高等尋常小学校を卒業するので、
母に起こされ炊事場で、
朝の味噌汁やお茶を湧かす手伝いをする。
我が家は百姓なので、
燃料は麦藁、小麦藁、豆柄、松の葉等々である。
直ぐに燃え尽きるから油断は出来ない。
炭を使う時はカンテキに燃え安い物を入れ、
燃やして木切れを入れ、
上に炭を置き団扇で仰ぐという作業。
実に手間の掛かる方法であった。
これが約二年間続き、
女の子の場合は、
それから本格的に家庭の主婦としての、
教育に追われる事になる。
裁縫やお花、
お茶といった習い事がびっしりなのである。