第1回『サトウキビパラダイス』
大正三年八月(一九一四年)第一次世界大戦が勃発する。
日本も連合軍に加担して勝利し、
南洋群島を日本の領土に編入する事になる。
この年、末曾有(みぞう)の日照り続きで、
ついには川の水堀の底水も枯れてしまい、
民衆、天を仰ぎ長嘆息をする毎日が続いた。
非運にも稲作は全滅で大凶作になり、
年貢米も納められないような状態に…。
田の稲も立ち枯れて、
多くの百姓は断腸の思いにて、
ひび割れした稲田を眺めるのであった。
器に水を入れて少量なれど、
根元に与え気休めの毎日を頑張る。
秋の取り入れの季節、
いくばくかの収穫を手にする。
何事も早期に諦めず努力せよと教えられた。
そして母は、
臨月の身重(私)を抱えて、
田へ水を送るべく水車を息を切らして踏み続けている。
交代者は無しで、
健康を損ねた身で出産をする。
赤ん坊(私)の泣き声も弱々しくこの世で息吹をする。
取り上げの産婆さんは、
「助かるかしらん」
と首を傾げるが乳は飲む。
この子珍しく、
虎年の虎の日の虎の刻に生まれたので、
父親は三虎と命名するが、
皆に反対されて虎雄と命名される。
そして、三男として出生届を出す。
父親は百姓だが小作人である。
昔の諺(げん)に三段百姓は水飲み百姓と言われている。
この時の生活は、
貧乏を絵に書いたような生活状態だったのだが、
家は持ち家で、
間口は十二メートル奥行きは五十一メートルあり、
離れ座敷もあった。
百姓だから内庭は広い。
近所は間口こそ違うが奥行きは皆同じなのだった。
私の成長を辿って見よう。
生まれた年は稲の収穫は散々であったが、
その年の十月も半ば、
両親は幼児(私)をフゴ(百姓の荷を運ぶ藁(わら)で作った器)に入れて、
野道に置き仕事を進める。
度々、乳を与え夕方迄働く。
この状態の繰り返しで何時しか這い歩む。
物心着いた頃は畑で草を抜き、
小石を拾い親の手助けをする。
当時は、病気勝ちで医者通い激しく、
父は死ぬなら早く死ねと人に話した。
ある時、喉の直ぐ横にデンボが出来て手術するが、
痛くて泣き泣き。
それでもサトウキビをしがんでいったと、
大きくなってからも、
母に良く笑われ話に聞かされる。
五、六歳頃は痩せて体力無く、
自宅の戸口で皆の遊びを見て決して、
仲間に入らず過ごす。
日本も連合軍に加担して勝利し、
南洋群島を日本の領土に編入する事になる。
この年、末曾有(みぞう)の日照り続きで、
ついには川の水堀の底水も枯れてしまい、
民衆、天を仰ぎ長嘆息をする毎日が続いた。
非運にも稲作は全滅で大凶作になり、
年貢米も納められないような状態に…。
田の稲も立ち枯れて、
多くの百姓は断腸の思いにて、
ひび割れした稲田を眺めるのであった。
器に水を入れて少量なれど、
根元に与え気休めの毎日を頑張る。
秋の取り入れの季節、
いくばくかの収穫を手にする。
何事も早期に諦めず努力せよと教えられた。
そして母は、
臨月の身重(私)を抱えて、
田へ水を送るべく水車を息を切らして踏み続けている。
交代者は無しで、
健康を損ねた身で出産をする。
赤ん坊(私)の泣き声も弱々しくこの世で息吹をする。
取り上げの産婆さんは、
「助かるかしらん」
と首を傾げるが乳は飲む。
この子珍しく、
虎年の虎の日の虎の刻に生まれたので、
父親は三虎と命名するが、
皆に反対されて虎雄と命名される。
そして、三男として出生届を出す。
父親は百姓だが小作人である。
昔の諺(げん)に三段百姓は水飲み百姓と言われている。
この時の生活は、
貧乏を絵に書いたような生活状態だったのだが、
家は持ち家で、
間口は十二メートル奥行きは五十一メートルあり、
離れ座敷もあった。
百姓だから内庭は広い。
近所は間口こそ違うが奥行きは皆同じなのだった。
私の成長を辿って見よう。
生まれた年は稲の収穫は散々であったが、
その年の十月も半ば、
両親は幼児(私)をフゴ(百姓の荷を運ぶ藁(わら)で作った器)に入れて、
野道に置き仕事を進める。
度々、乳を与え夕方迄働く。
この状態の繰り返しで何時しか這い歩む。
物心着いた頃は畑で草を抜き、
小石を拾い親の手助けをする。
当時は、病気勝ちで医者通い激しく、
父は死ぬなら早く死ねと人に話した。
ある時、喉の直ぐ横にデンボが出来て手術するが、
痛くて泣き泣き。
それでもサトウキビをしがんでいったと、
大きくなってからも、
母に良く笑われ話に聞かされる。
五、六歳頃は痩せて体力無く、
自宅の戸口で皆の遊びを見て決して、
仲間に入らず過ごす。